宗教は後述するが水商売は「関係性にお金を払ってる」といえる
自分の話を聞いてくれる、優しくしてくれる、安心感が得られる、優越感
そういうものにお金を払ってる
(アイドルの推し活やVtubeへの投げ銭スパチャもこれと類似する)
これを一対一の関係ではなく組織規模にしたのが宗教
創価学会に入れば同じ地域の学会員(複数)が
生活上の相談に乗ってくれたり仕事の世話をしてくれることもある
逆に一方的にお金を取られる形になっていても
自分は一人で孤立しているのではなく信徒の集団に属している
素晴らしい指導者に従っているという気分で精神的な優越感は得られる
もっと原初的に言うと
人間には「他者とつながりたい願望」や「大きなものとつながりたい願望」がある
目先の金の問題よりそういう精神的価値に重きを置く人間は案外と多い
具体的な教祖や教団に献金までしなくても
人はなぜSNSにハマりネットに書き込みしたがるかと言えば
どこかにいる赤の他人が自分の同意見なのに安心したり
自分の意見に同意してくれる人を求めてるからじゃろ
この延長上に人間関係のビジネス化がある
かつて幇間(お客に同意して座を盛り上げるだけの仕事)
なんてものがれっきとした職業として成立していたのはバカにできない
Permalink | 記事への反応(1) | 17:21
ツイートシェア
同意。関係性の渇望は宗教とそれらに通底する動機だ。 「スパチャで名前を呼んでほしいなら高額の赤スパを投げなきゃ」 もしこんなことを言っている Vtuber がいたら、カルト宗教と...
そういうyoutuberが居たら収益化剥奪かアカウント停止になるな