生まれながら入っていた。15歳くらいのときに、まるでこいつら信用ならないな、と見切りをつけてから20年以上経つ。祈れば何でも好転する。病気も治れば夫婦仲も良くなる、希望の大学に入学できるなど。まあ、勝手にしてればいいんだけど、政治にも首を突っ込むのは宗教団体の常。
社会的な弱者や性的なマイノリティ、特定の国籍の外国人、不治の病を抱える病人は、いないもの、あってはならない存在とされていた。宗教的な悪行ゆえに存在している、いてはならない人間と扱っているようにも思う。
理屈はこうだ。
「不治の病を抱えた人は、前世で悪行がやまほどあった」
「性的なマイノリティは、社会に悪をもたらすために存在している」
自分たちが暮らしている、通り一遍の世界以外にいる人たちは、全てが自分たちの敵となる。
じゃあ、そんな人たちが、その信仰を受け入れたらどうなる?と悪意を込めて聞いたことがある。その回答も素晴らしい。
両親には伝えてないが、私はとある障害がある。一生治らない。その親として、どんな顔をしてそれを受け入れるだろう。
信仰を受け入れることがあったとしても、通院は続く。それが、その信仰の限界なのかと思う。科学はあくまでも科学。信仰はただの拠り所。