なんというか、会話には決まったパターンがあって、慣れると会話が自動操縦になって楽になる一方で「つまんねえなあ」と感じる。
相手の言ったことを適度にオウム返ししたり、相手の感情に寄り添った共感的な応答(例: 失恋の話をされているのであれば、問題の対策ではなく「つらかったんだね」と言う。まちがっても問題の深掘りはしない) をしたり、ちょっとオーバーにリアクションしたり。これで9割ぐらいはなんとかなる。
この歳になってようやく皆適当に会話していることがわかったけれど、問題は私がまったく相手に興味を持てないことである。
会話のやり取りがうまくいかせるそれ自体を一種のゲームと考えて、相手が気持ちよく話していると自分の話し方が良かったんだな、ちゃんと練習の成果が出ているんだと思ってほっとするけど、まったく相手の話に興味を持てないし共感もできない。
相手がたとえばアマゾンの原住民だとしたら、知的好奇心から彼らがどう考えていたりとかどのように生活しているのか、ということには強い関心があるけれど、目の前の人は私にとって「アマゾンの原住民の一人」であって「その人」ではない。
会話の訓練はしているから、相手にバレない程度には相手が自分自身に興味を持ってもらっていると思わせることはできる。
しかし、そもそも共感的な会話だとか相手に興味を持つということ自体があまり理解できないから会話それ自体が楽しいと思うことはほとんどない。会話が楽しいのではなくて、新しい知識を得ることが楽しいという方が正確である。
99%知っていることでも、1%を初めて知れたら個人的には満足なので、退屈な話でも結構我慢強く聞くことも多いけど、なんだか疲れる。本を読んでた方が知らないことを知れる確率が高いから楽しい。
とはいえ、人と話すとその1%が決定的に重要なこともあるから (自分じゃ思いつかないような情報やそのきっかけを得たりする。自分で選んだ本はやはり自分の発想の延長線上の知識しか得られない)、退屈でも継続した方が良いんだろうが、たまにすごく面倒に感じる。
皆、そもそも相手に興味を持って会話をしているんだろうか?知っていることを話したり聞いたりするのは退屈に感じたりしないのだろうか?
お前増田ですら浮いてるな