2022-04-11

キャンセルカルチャー存在しない?

キャンセルカルチャー存在しない。そのような言葉は使うべきではない」と言っている人たちがいる。明らかに間違っていると思う。キャンセルカルチャーを、「現代社会において差別的とされる言動をした人たちについて、その言動批判処罰するだけではなく、当該人物社会的地位活動の場そのもの剥奪を主張あるいは(主張はしていないものの結果としてそうなった場合に)容認する運動」と定義できるのであれば、まさに呉座氏の件はそれに完全に該当する。


呉座氏の誹謗中傷発言は全く許容できるものではないが、SNSの鍵アカウント上の発言でもあり、テニュアを奪うほどのものでは明らかにない。園子温セクハラの酷さは唖然一言だが、今後映画活動の場を全て剥奪するというのは明らかにやりすぎだと思う。小山田圭吾いじめの件も胸糞極まりないが、一切の音楽活動を禁じられるのはおかしい。これらが「キャンセルカルチャー」ではないとしたら、何なのだろうか。


キャンセルカルチャー」の特徴は、その人物が今後の反省や改悛する可能性を完全に否定し、「差別主義者」という雑なカテゴリーに括って、その檻の中に一生閉じ込めて出てこないようにとする点にある。しかし、広河隆一園子温政治的には明確にリベラル側の人間だったことを、一体どう考えているのだろうか。フーコーも「キャンセルカルチャー」の対象になりかけたことがある。

  • 悪いことした人間の将来が閉ざされるのは、何の問題も無いんだよ。 ただの自業自得なんだから。 最初にキャンセルカルチャーという言葉がでてきたのは、 ある作品に出演していた...

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