障害者が罪を負うことになったら、事実上何も出来ない本人に代わって家族が地獄を見ることになる。
ただでさえ壮絶な苦労をしているのに、ここからさらに何千万円もの賠償金を負担する余裕はない。
民事で遺族に何十年と謝罪を繰り返すのは精神的にも耐えられず、裁判官は二次被害ーーつまり加害者親族の心中をわざと誘発したいのか?とすら思われる。
それを思えば、責任能力がない障害者の事件は不起訴にするか、無罪にするのも仕方ないだろう。
認知症の高齢者がJRに突っ込んだ事件も、最高裁は家族に責任がないと判断した。
それと同じで、障害者がよく分からずに乳児を道路に叩きつけて殺してしまったり、他人を階段から突き落として殺してしまったり、訳も分からず車を運転して他人を轢き殺してしまった結果不起訴や無罪となった事件は、本人の権利というより家族を守るものとして一定の意義が認められる。
ちなみに障害者自身が脱走事件などの被害者となった場合は、今までずっと世話をしてきたり悩みながら施設に預けてきた家族の葛藤を考慮し、逸失利益の算定時に健常者と同等の稼得能力を認める方向である。
俺は裁判ってのは ・見せしめとして犯罪者の人生を破壊する ・人に危害を加えうる猛獣に調教を施す期間や殺処分の可否を設定する ・国民に信じさせたい正常世界の濃度を調整する っ...
福祉分野にすっげえ短期間だけど関わってたことがあるから個人的な気持ちとしてはキチガイ無罪という言葉は嫌いなんだが、 福祉の側でも「はいはい、責任能力がないから罪に問えな...
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精神病の治療もせずに人間社会で暮らすのはてんかん発作持ちが車を運転するようなもの まで読んだ