https://twitter.com/ishikawa_yumi/status/1428199418113654788
「そもそもなぜ「事件をビジネスにする」ということが「配慮に欠ける」と感じるのか、をもっと深堀する必要があると思う」
ということを石川優実氏がツイートされていたので深堀りしてみる。
事件をビジネスにしたとき、その事件の被害者の視点を想像してみる。これは
ということが想定できる。
石川氏は「それ(ビジネスにすること)が悪い事だと決めたのは誰なの?」と言っているが、事件そのものと被害者にフォーカスすると「誰も決めていない」が正解になる。なぜならそれを「悪い事」かどうかを判断するのは被害者本人でないとできないからだ。
では「悪い事」か「良い事」かわからないとき、第三者はどう行動するのがベターな方法か。
その一つは「ビジネスにすることが悪い」場合と「ビジネスにすることが良い」場合双方で物事を見て「被害者自身へのこれ以上の不利益が最も少なくなる可能性を重視する」という考えで行動することだ。被害者に「不利益」が発生しないように考える。
そうすると、いくつか方法が考えられる、たとえば
というような行動。最悪のケースなのが
だ。これがもっとも被害者への不利益が大きくなる可能性があるからだ。
だから、こういう形で深堀りすると「ビジネスにしないほうがよい」という結論になる。「ビジネスにする」ことは被害者利益になるかもしれないが、それと同時に不利益になる可能性があり、それを無視してはいけないという考えだからだ。
もう一つ。
この事件は「女性への被害」という社会的な側面を見て「知ってもらうことが大切だから」ビジネスにすることに意味があるという趣旨のツイートを石川氏はしている。それは否定しない。だが「ビジネスにしたときに被害者本人の不利益」の可能性を考慮しない、あるいは考慮しても、そのプライオリティを下げてでもビジネスにするということは、「社会正義のために個人の被害者は不利益を被ってもよい」ということになる。
そうはしない。自分の考える社会正義より、犯罪被害者の痛みの軽減を優先する。これが「配慮」するということだ。だから「事件をビジネスにする」ことは「配慮に欠ける」と感じるのだ。以上、石川氏のツイート
「そもそもなぜ「事件をビジネスにする」ということが「配慮に欠ける」と感じるのか、をもっと深堀りする必要があると思う」
への一つの回答になるだろうか。
別に深堀りする必要はないよ 単純に思考停止してもいい そもそもにビジネスというか仕事とか話題とかそういうもの自体にするのがよくない なぜかってそれ仕事としてするなら「事件...
当事者性で終わる話