2021-07-30

将棋運ゲー」と理解できない者が語るゲーム論はどんなに頑張っても曲芸の域を出ない

ゲーム盤の上に乱数発生器が載ってなきゃ運が絡まないと思ってる奴らの底知れない浅さたるや。

競技遊戯といったもの本質がまるで見えてない。

人間ルールや道具を作り出したあらゆる遊びや試合といったもの絶対的に対人であるということさえ理解できないのだろうな。

ファンタジー世界で「皆には見えるオーラエーテルが見えない存在」が時折題材になるが、立ち位置としてはそこに近いのでは?

ある種のクオリアのようなものが生まれつき欠如していて、普通に生きていれば見えるようになるものが生まれつき絶対的に見えていない、そうとしか思えないほどに、鈍感力無限大の彼方へと突き抜けている。

だがそれでは、ゲームを論じることは出来ないのだよ。

たとえば味覚障害のあるものが「味覚障害のある人間なりに匂い香りと見かけだけで食べ物評価する」といった奇策を打っても、それが真っ当なレビューの一つに数えられることは永遠にない。

将棋(を含めて全てのゲーム乱数発生器の搭載の如何を問わずに)運ゲー」とういことが理解できない人間が語るゲーム論は、絶対的に致命的に圧倒的に絶望的に喜劇的に根本的なピント調整が永久不安定なままで語られていく。

しかに彼らの語る論がたまたま偶然あってしまうことはあるが、それは単なるタイプライターを叩いた猿がシェイクスピアをかきあげたと言うだけであって、その主張の正当性は結局その著者たる猿本人によっては一切担保されないわけである

著者本人が一切正当性担保できないのでは、それは「論」ではなくて単なる「談」、ジョークブックに載ることはあってもマニュアルに載ることは永遠にないのだ。

  • 「タイトル戦で運悪く体調悪かったら負けるじゃんつまり運ゲーじゃん」みたいな感じで、多少なりとも運が絡むのであればそれすなわち運ゲーである、という定義だろうかね

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