線の引き方次第でカテゴリーなど無限にあるし、そもそも世界に境界線などない。境界線だと思っているものは増田が心の中でなんとなく恣意的に引いているものに過ぎない。
何かの都合で心の中で仮に引いた線を、いつのまにか永遠不変の線だと思い込むことから不幸が始まる。
増田と増田の外とは増田が思っているほどはっきりと分かれてはいない。むしろ、マクロに、ミクロに、短期的に、長期的に、よく眺めれば眺めるほど増田と世界との境目などないことに気付く。増田と世界だけでなく、世界のありとあらゆるものは継ぎ目なくつながっている、ひとつながりの存在だ。
増田が増田だと思っている身体は新陳代謝によって数年でほぼすべてが入れ替わっている。増田の身体は増田がここ最近食ったもので出来ている。ちょっと前まで増田の一部は豚や牛や鶏や魚や野菜だったのだ。増田の吸う酸素や飲む水の一部はいつかどこかで別の誰かの体を経由したものかもしれない。増田が数時間後に垂れ流す糞小便もその構成物の一部は地球を循環し、巡り巡って誰かの体の一部となるかもしれない。あるいは、増田が死ぬほどきらいなものや死ぬほどきらいなやつの一部が増田の一部になっているかもしれない。
あるいは物質的な因果関係だけではなくて、こうしてインターネットを介しての情報のやり取りによって、心理的に影響を与え合うことだってある。まぁ、数え切れない、捉えきれない因果関係で世界のありとあらゆるものはつながっている。
そういう世界の中にあって、無数の因果関係によって一時的に形を保っている身体の、その皮膚と皮膚よりも内側にあるものを、普段はなんとなく「自分」と思っているに過ぎない。それだけを「自分」だと思って、それだけを大事にしようとすると苦しいんだよ。勘違いに過ぎないのだから。その勘違いにもとづいて活動すると無理が生じるというわけだ。
実際の自分は境界線などないひとつながりの存在だ。だから、「自分」と無数の因果関係で結ばれている諸々の物事を、「自分」と同様に大事にしていかない限り、自分は幸せになれない。
何言ってるか分かんないかもしれないが、自分が仮に引いている線によって自分ががんじがらめになって苦しい思いをするのは愚かだということに、いつか気付くと良いね。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、袈裟どころか経典も木魚もハゲも憎い 何かの界隈で悪いことしたやつがいたら、外から見たら全員キチガイに見える それが当たり前の感情だろうがよ だか...
不自由な人だな。物の捉え方に柔軟性がないので無駄に敵認定してストレス溜め込んでる。自縄自縛。
嫌いなやつからしたらそれ好きなだけでキチガイです 攻撃対象です そのつもりで 何度も言わせるなよ?
不自由だねえ。いつか気付くといいねえ。
お前が自分自身をキチガイだと気づけよ あー俺優しいなぁ、キチガイを諭してるわ
線の引き方次第でカテゴリーなど無限にあるし、そもそも世界に境界線などない。境界線だと思っているものは増田が心の中でなんとなく恣意的に引いているものに過ぎない。 何かの都...
どうしたいきなり自分がキチガイであることを改めて自己紹介して
嫌いなやつからしたらそれ好きなだけでキチガイです 攻撃対象です そのつもりで 何度も言わせるなよ?
わかるわ。界隈で悪行や蛮行が悪い意味で話題になると、すーぐ「みんなおかしいわけじゃない!」「まともなのがいる!」って言う。 全員基地外だよ。自浄できないし。
アンチって存在はこういう観点で動いてるのかね
自分の品性が貧しい事を表明して楽しい?
楽しいやで😊
一部を見て全を語る人だ。 かわいそうだね。
坊主憎しで人を「お前は坊主だろ!?殺す!あ?キリスト教徒?要は西洋の坊主だ!!殺してやる!!」と殺しまくり、すべての建物を「これは寺だ!坊主の集う寺だぁ!」と爆発させ...