文章の修辞ってのは沢山あるわけじゃん。
あえて常識や道徳に反する表現をぶつけて読者を驚かせてからなんでそういう言い方になったか述べるとかさ。
結論を組み立てるのに十分な材料は並べた上で、最後のまとめは一歩踏み込まないままにしといて読者が自分で考えて辿り着くようにするとかさ。
面白い文章技法ってのは沢山あるのに、インターネットに載せられるとそれを読み取らずに否定する人がしこたま発生するようになってそういう技法を使うこと自体が悪みたいになって「そんな言い方をした奴が悪い」みたいになってるの、くだらなすぎるよ~。
1:比喩とか反語とか云々という列挙の個々に注目し例をつっつく。誇張とかは否定されて当然の悪い表現、みたいな空気を持たせやすいからオススメですよ。山ほどご飯を食べたって表現に「山よりずっと少ないのに誇張するな」とでも言っとけ。無限キャベツにも怒っとけ。
2:レトリックを読み取れない人は昔からいると指摘する。読み取れない人間でも文章を読むようになり、そしてズレた文句を言うようになり、それが周囲に大真面目に同意されるようになる事例が増えた、とまで言わなきゃ伝わらないか? 読み取れないって言い方は誇張かな、読み取るのが苦手な、の方がいいかな?
予防線張りまくって、イチからジュウまで説明して、ネットで発表される文章表現からどんどん豊かなレトリックが失われ、無駄な冗長さばかりが増している。
そりゃあねえ、まずい発言を怒られて「いや、言葉の綾だから」の一点張りで逃げようとする悪人ってのが実際沢山いるのは確かですけどね。(そして実際に悪人なのか、言葉の綾・レトリックとして使っただけなのに私や世間が読み取れてないのかを確定させることはできないが)
そいつらを咎めるために、わかりやすさが至上で、誤解や人によって解釈の違いが生まれるレトリックは悪で、レト即斬ってになってるのは、悲しみくって涙がチョチョ切れるぜ。