この数年、いろいろな「ハラスメント」を呼ぶのに「○○ハラ」という言葉づかいがインターネット上で流行っている。
ダイバーシティという言葉が浸透して、個々人の違いを尊重しようという機運が社会に広まってきたことも関係があるのだろう。
「マタハラ」「パタハラ」「カスハラ」「アルハラ」など、人が自分の正しいと思うこと(規範)を他人へ一方的に押し付けることがハラスメント(いやがらせ)と認められるようになってきた。
規範の押しつけは強制的で暴力的だ。だからそういう押しつけをする人は悪い人だ。
そんなふうに認められる機運が高まってきたように見える(インターネット上では)。
そうなると、自分が不快に感じたことを何でも「○○ハラ」と呼んで「ハラスメント化」する「ハラスメント作家」が現れる。
そういうことをする人の評判は総じてよろしくない。なぜか。
単に自分が不快に感じたことを不快だと言えば、それはその人の感じ方考え方を言っていることになる。
だが自分が不快に感じたことをハラスメントだと言えば、他者の「カテゴリー化」が発生する。
つまり、「私が不快に感じたことをするこの人は、社会で不適切とされる行為(ハラスメント)をする悪者です」というカテゴリーのあてはめが発生する。
「ハラスメント作家」のずるいところは、他者を悪者と判断する責任をこっそりと自分自身から社会に転嫁していることだ。
そうすることで、自分が不快だと感じたから不快だという言い分を隠して、社会から広く悪と認められている行為(ハラスメント)を批判する正義の味方という立場を手に入れることができる。
まぁでもそうやってカジュアルにカテゴライズされてるのを見て深刻なマジのハラスメントに気付く人も多いだろうし