2020-11-30

生産性の低い家庭

生産性の高すぎる関係性を維持できない。

以前付き合っていた人は、頭の回転が早く、観察眼も優れた人だった。

バイタリティもあって、世紀末でも生き残りそうな人だ。

あらゆる事に興味を持ち、行動しているので、話をするのも出かけるのも本当に楽しかった。

例えば、

しまった、明日雨なのに洗濯してくるの忘れちゃったなあ。」

洗濯しておいたよ」

「ありがとう」

こんな風に効率よく、生活スムーズで質があがる。

家事では自分の方が動ける場合もあって、お互い高め合う良い関係だったとは思う。

それはわかっていても、自分の心が弱っている時、プレッシャーになってしまうのだ

(この人は気付いて先に動いてくれたというのに、自分はなんてダメ人間なんだ。)

結局、結婚した人はぼんやりしてとても鈍感で、サバンナなら自覚する前に食べられていそうな人だ。

生活している中でつい目に入ってしまう、考えてしまうような事も何にも知らず、同じ日本暮らしてきたとは思えない。

よく今まで死ななかったと思う。

先の例ではこんな感じだ。

「あ、洗濯物あるの気がつかなかったー。

明日雨なんだね、知らなかったなあ。

から洗濯しようかあ」

念のため言及すると、収入も勤務時間もほぼ同じなので、本来家事負担も対等でいいはずなのだ

でも、相手は何も考えない、何も気がつかない。

家では必然的自分マネージメントをしている状態だ。

そんな風に時間的・体力的なリソースを割いてでも、心が弱った時にこちらが弱っている事にすら気づかない、鈍感さが楽なのだ

しかすると相手能力を盾に自分プライドを保っているのかもしれない。

健全ではないと考える一方で、誰かと生活を営むなんて想像しなかった自分が救われているとも思う。

現に、この人に介護されるのは不安しかないので、自分長生きしなくてはと思っている。

希死念慮の塊であった自分の生きる糧になっている、気がする。

これから生産性の低い家庭をゆるくながく保っていきたい。

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