円滑なコミュニケーションというのは話者にのみ「含意が一意に定まる表現」をする責任があるものではない
聞手が発話について言語に付随する含意の曖昧性を含めた言葉の意味をよく理解して話者の意図を汲み取る作業が必須である
一方で文字情報しか介在しないインターネットでは言葉のうち音声情報や身体的な周辺情報が捨象されるために含意の曖昧性が生じやすい
この環境から含意の曖昧性を利用して聞手が自らに都合の良い解釈のみを抽出したり露悪的な解釈を拡大する文化が育まれるというのはある種の必然であろう
そしてそういった環境に触れることに慣れてしまったりそもそもそういったネットの環境で育った人間にとってはコミュニケーションというのは話者が無謬であることの全責任を負うことが常識的となってしまうのも仕方ないことではあるのだろう
しかしながら含意の曖昧性というのは言語にとって切り離すことのできない本質の一つである(したがって「含意が一意に定まる表現」は存在しない)し言語が我々のコミュニケーションにとって最も主要な手段の一つである以上この曖昧性を無視する態度をとることは話者聞手の別に関係なく問題があるのである
話者の方が言葉の供給を行う以上もちろんより注意を要することは言うまでもないがそのことは聞手たちにとって話者の言葉から汲み取れる話者の意図についてのあらゆる可能性を熟慮しなくてよいということにはならない
聞手としてインターネットの言葉に向かうときその裏にあるかもしれない話者の意図をよく考えることを忘れないようにすることが肝要である
なげえよ
学者サンかい? 長い、長いよ! ・・・もっと(平易な言葉で)引き付けるんだ
文字情報しか介在しないインターネット ???
読売新聞しか読まないようにしているだと 巨人ファンで インターネットしか見ないようにしているだと アスペなのか?
そういう増田がアスペでしたってオチか