今日 (正確には昨日) 、情熱大陸で「人と人がその場を共有しないと」みたいな話があったようだ。
この手の話を聞くたび思うんだけど、黄門様の紋所のように絶対的に言える話なんだろうか。
自分のことを冷めた人間だとは思っているけど、そもそも生身で密にコミュニケーションすることが (頑張るけど) 疲れる。まして本音むき出しのコミュニケーションなんて、しないでいいならその方がいい、と思っている。
最近、バーチャルモデルの imma さんという存在を知った。インスタを拝見すると「普通に」綺麗だ。違和感がない。動画だと髪の毛あたりに違和感がでるけど、写真だと本当に実在の人間と区別がつかない。
写真や動画で違和感がない、という前提があれば、 imma さんは不老不死を実現している。首から下のモデルさんを変えれば永遠に生きることができる。老けることもない。これは画期的なことではないか (まぁ何周か回って邪馬台国の卑弥呼さんあたりが実現してるといえばそうかも知れないが) 。
仮に imma さんに強く惹かれている、いわゆる「推し」だったとしたらこれほど幸せなことはない。推しが好きな状態で永遠に変わらない、スキャンダルもない。こんなありがたいことがあるか。実在しないじゃないか、と言うかも知れないけど、どうせ我々一般人が推しの人間に会えることなんてまずないんだから、そういう意味では有名人なんて7割くらいバーチャルみたいなものだ。
話がそれた。「人と人の触れ合いが何より大事」と主張したい人間は、基本的にはこれまで、その価値観の世界において優位性を得てきた人間たちだ。言わば「人と触れ合うのが得意」という既得権益を持っているわけで、その既得権益が崩れそうになっている今、それを守るためにあれこれ発言しているのではないか、と思ってしまうのだ。そのせいで、彼らの言うことを素直に受け取れない。肉体的な触れ合いがなくても、バーチャルでも、人は十分幸せに生きていけるんじゃないか。テクノロジーは、そういう未来を実現できるんじゃないか。そんなことを思っている。