人の好みとかジャッジ感は変えられないのでルッキズムは人の心の中にある人はあるとしか言えない
問題は容姿ジャッジを公然と口に出している人や社会だと思うのだ
だって、影響されるでしょ?
いいと思うものをいいと言って何が悪いの?嫌だと思うものを口に出してはいけないの?と問われると、良し悪しというよりマナーでしかないと思う
マナーがない人がルッキズムという言葉を作りさらに煽っている気さえしてる
少なくとも私は知らない誰かが傷つくとわかっている言葉やキャッチコピーは使いたいと思わない
わたくし個人的には自他肯定能力が高いのが自慢で、ルックスを貶されてもダメージを受けにくく、他人に貶され攻撃的で卑屈になった人間を受け入れ大事に思うことも容易いのでルッキズム文化なぞへのかっぱではある
私の配偶者は昔職場の先輩に「俺がお前の顔なら自殺してたわ」と言われた事が傷となっているようだ。なのに俺は人の容姿を傷つけない!とはならず妻である私やその辺の他人の容姿を気軽に下品にジャッジしているのでこいつ哀れなりと思うこともある
見た目ジャッジはしないが悪口ばかりの人間の内面をすぐ哀れなどと上から目線でジャッジする不遜さが私の性悪さである
幸い社会では美人だ可愛いと適当にお世辞を言ってもらえるくらいには容姿や愛嬌を持たんとしているし、容姿ジャッジや貶すような無礼なことをしてくるのはただただ哀れと思いうまくバランスをとってヘッと笑って済ませているけれども、やはり人間なのでもっと追随許さぬ美貌や若さがあればなぁと落ち込まないでもない
気軽に容姿ばかりで人を貶す人がいなければ私も多分容姿や愛嬌を保つ努力はしないのかな
それ以前にやはり、勝手に他人のことを偉そうに下に見てジャッジするのはどうなのかなぁと根本的には思うものである
いいなぁと思う人間をルックスだけで評価する方が難しいのに、いいなぁと思ったら好きだと言いたいだけなのに、ルッキズムとかいうのはやっぱり無遠慮に容姿を貶された傷ついた人々の呪いなのではないの?