コロナ自粛でテレワークの整備も進み、出遅れていた弊社もついに全員がテレワークとなった。
外に出れば常に景色が変わるし、常に誰かがいて、そういうことをあまり考えずに済んだのだけれど、テレワークといっても実際ほぼ休みみたいなもので、緊急事態宣言の下出歩くような天邪鬼でもない自分は外に出ることもなく、じっと家にいると嫌でも自分の人生の来し方について考えてしまう。
さらに悪いことに、テレワークで無駄な報告書作成を強いる上司と衝突し、職場ともなんとなく疎遠になった。(元々今はコロナ禍でほとんど仕事もないのだけれど)
そして志村けんが死んだ。
次々とこないだまでテレビで観ていた人たちがコロナになっていく。
「死」がどんどん身近になる。
あるいは新型コロナが一瞬で1万人を殺し、何事もなかったかのように消える類の災害であれば日常は消えなかったかもしれない。けどそうではなく、おそらく日本で死者が1万人を数えることはないだろうが、コロナは容赦なく日常を奪っていった。
自分にとって大切な人、家族、親戚、恋人、友人の命も永遠ではない。
けれども、ともすれば薄まりがちな、こんな当たり前の事実にコロナははっきりとした輪郭を与える。
いつまでもいてくれるわけではない親に、何かで一人前になった姿を見せられたことがあっただろうか。今の自分を、親は誇ってくれるだろうか。
自分は一体何がしたいのか。嫌なこと、面倒なことから逃げ続けて、最終的に後悔ばかりするのが自分の人生なのか。
そんなのは嫌だ。
本意ではないがこう言おう。
コロナが突きつける現実に向き合い、この機会に何かに挑戦してみようと思う。それは30過ぎではあるが大学受験を目指すかもしれないし、本気の筋トレをするかもしれない。国家資格の勉強をするかもしれない。