2020-04-07

人の認知について見てたら、自分も似たようなものだった件について

https://note.com/komatsuna777/n/nf684cf82dd5d

以前、この記事を見て、こんな人もいるだなー大変だなーと思ってたけど、自分カウンセリング受けたら似たようなものだった件について。

さっきの記事ぽく言うと、

自分は少しの否定であっても、「普通の人」でないと思ってしまい、めちゃくちゃ落ち込むメンタルです。

問題なさそうに感じるかも知れませんが、私の中の「普通の人」の定義では、「普通の人」は一切批判されるようなことを言われない。「普通の人」は、ルール(毎日定時に登校して下校し遅刻しない、会社は辞めないというレベルから)に絶対に外れない。となっています些細なことであっても一つでも外れた人は、「普通の人」ではありません。

一切批判されないということの定義ですが、例えば、冗談で言うお前ダメだなぁーもNGです。そんなことを言われた自分は「普通の人」ではありません。

普通の人」ですが、それらから来る嫌味や好感を天啓に近い感じのことだと思っていました。「普通の人」以外(自分)は言葉が通じる動物だと思っています

ここで更に詰まったのが、自分以外の存在は、「普通の人」という認知であったことです。自分以外の存在は、どんなに会話を重ねても周りの批評を聞いても、自分のこと以上には分からないので、「普通の人」であるかは、判断せず自分以外の全てを「普通の人」として見ていました。

そして、私はそんな「普通の人」であろうと努力して来ました。

で、ここまで読んでくれた人は察したと思いますが、そんな「普通の人」を達成出来る存在なんて、世界中探しても、ブッダであってもイエスであっても達成出来ません。そんなことを私は、カウンセリングをするまで気づかず、勝手に傷ついた次第です。

さて、ここまでの自分認知になった訳は、多分、小学生から同調圧です。まぁ、幼い頃って、ちょっと人と違うと揶揄われたり、最終的にはいじめの対象になる訳ですが。いじめという否定にあった自分は、自分の何かがおかしくてダメなんだと、ひたすら「普通の人」になろうとしてました。

ちょっとしたエピソードですが、家の前を通る同じ学校の人の服装を見て、毎日異様に安心せていました。

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