フェミVSキモオタという対立構造になっていることについてはキモオタとの接点のなさ、理解不可能さが大きく影響しているのではないか。
この騒動で対抗している自認キモオタ/オタが本当に一定のキモオタ要素を持った人なのかも不明だけれど、
どのフェミ分類であれ共通する「女性の人権」改善を考えるなら、この対立構造は問題解決にあまり役立たない気がするんだよな。
なぜなら女性の社会進出の妨げになっている慣習や無理解はキモオタ層ではなく、その真反対の世界で生きるメインカルチャーで影響力を持った人達によって主にもたらされているものであるため。
「キモオタ」世界の表現は二次元プラットフォーム上で発達して伝達するから部外者にも認知しやすく、
一方メインカルチャーの基本プラットフォームは三次元で、二次元プラットフォームを駆使したコミュニケーションの理解、使用が受容されるようになってきたのはせいぜい最近のこと。差別者間の表現は部外者には認知しにくい。