2019-10-14

発達障害の「グレーゾーン」なんてないという話

あくまで私個人の話だということを前置きした上で、記載する。

私は、就職後に発達障害ADHDLD)の診断を受けた。診断後も一般雇用行政機関に勤めている。

発達障害があると聞くと、「そうは見えない」「全ての人が、ある意味発達障害者と言えるよ」と返答する方もいるが、私個人はこの言葉意味を感じていない。

私は、自分は黒と白の間を行き来していると考えている。自分は、発達障害者(黒)である時と、発達障害者でない(白)時があるのだ。

障害とは、その特性が原因で社会的な困りごとがある時に、初めて障害になるのだと思う。どんなに極端な特性があっても、それで困っていないなら、あくまでそれは発達「特性」に過ぎない。(困っていない相手に、「お前は発達障害者だ!」と周囲が決めつけることも無意味だとも思っている。)

私は両親に、自分発達障害の診断を受けたとは伝えていない。遠方に住んでいる両親との関係において、その特性が困りごとにはなっていないので、両親の前では発達障害者ではないと考えているからだ。だから、わざわざ言う必要はない。

私が発達障害者になるのは、困りごとがある時で、それを話すのは配慮してほしいことがあるからだ。

例えば私は、数を数えることも足し算も大変に不得意だ(LDがあるため)。だから上司にその旨を話している(本当に配慮してもらえているか不明だが、今のところお金管理などの担当になったことはない)。また、定期的な通院や服薬の副作用二次障害によって体調が悪くなることが多いため、上司が変わるたびにその旨を伝えている。一方で、人前で話したり、資料作成したり、企画をすることは得意だ。そうした仕事担当だと、高い評価を受ける。

このように、私はその時々の局面で「全く仕事ができない人」になったり、「めちゃくちゃ仕事ができる人」になる。そこで、「こんなに能力が高いのに、そんな単純な作業もできないの?」と言われても困る。それは、その仕事では発達障害者ではないだけだからだ。

私は、発達障害があることを悪だとは思っていない。なのに、その事実否定されてしまうと、私の悩み(配慮して欲しいこと)も否定されたように感じてしまう。

人は、ずっと障害者でいなければダメなのだろうか?ずっと鬱でいなければダメなのだろうか?ずっと弱者でいなければいけないのだろうか?

私は、常に発達障害者でいなければいけないわけでも、常に定型発達者でいなければいけないとも考えていない。鬱でいるとき自分も、楽しい気分でいる自分も、両立できるのではないだろうか。

  • >障害とは、その特性が原因で社会的な困りごとがある時に、初めて障害になるのだと思う。 というのは全くその通りだと思う。 しかし、まさにその「困りごと」が実際にあるにもか...

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