2019-08-25

最寄りの吉野家が120キロ先になった

私が高校時代通っていた吉野家がつい先日なくなった。これで最寄りの吉野家が120キロ以上離れたことになる。

かの有名な「ジャスコ釧路店110キロ先」より遠いと言うと、どのくらい遠いかが…わからない気がする。

ちなみにその吉野家は「ジャスコ釧路店」こと「イオン釧路昭和SC」ではなく5キロほど例の看板側に移動したところにある「イオン釧路店(通称ポス)」のすぐ近くにあって私の帰り道になっていた。

未だにほぼ同じ値段だったインデアンでなく吉野家に寄って帰っていた理由はわからないが多分そんな時期だったのだろう。すき家もあったのでチーズ入りが食べたければそちらに行くこともあったが吉野家信者だったので大抵吉野家に行っていた気がする。でも今日言いたいのはそんな個人趣味ではない。

自分はその気になれば吉野家すき家松屋もあるしマックモスロッテリアも行ける生活をしてるけど自分ができるだけチェーン店の世話になろうとしない生活をしていたのはチェーン店が少ない街に住んでいたからなんだろうと思ってる。でもいくつか知るとちょっと勿体無かったと思ってもいる。

ここまで書いておきながら本題に入るのをすっかり忘れていた。なんで吉野家がなくなったことをわざわざここに書こうと思ったかというと衰退する釧路風景をまた1つ見せつけられた気分になったからだった。生まれから大学内地に行くまでずっと釧路で生きてきた。その間進歩したことと言ったらせいぜい高速が伸びたことくらい(阿寒までつながったは最近のことだが…)で丸井はなくなるし駅前通りの衰退はリーマンショック以来酷いもので遂には広大な敷地セブンができてしまった始末だ。あれもなくなりこれも無くなり新しい何かは出てこない。せいぜい春採湖畔に本屋ができたことぐらいではないか

国も道も金が無いと妄想に基づく救い難い言い訳して無策を貫き通しているし万が一のことがあれば鉄道すら消えるかもと言われている。そんな中での吉野家閉店なのだ。私には希望や発展が奪われ続けているようにしか見えないのだ。

釧路希望は無いのか?一度でも私に街の発展というものを見せて欲しい。

  • 200年前にタイムトラベルすれば、街の大発展が見られる。

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