とある漫画に「理解・分解・再構築」という言葉が出てくるのだが、自分の意見をつくる作業も基本的にこの流れだと思う。
■理解
現象なら各要素について因果関係、構造、重要性の軽重などを把握する。質的に把握するだけでなく、可能なら量的にも把握する。
文章なら、主張は何か、その主張を支える論理と根拠は妥当かを把握する。
■分解
一度理解した現象や文章は自分の手でばらして創作の材料にできる。もちろん、意見を述べる時の材料にも使える。
現象ならサンプルを切り取って保存しておく、映像を撮影して残しておくなどできる。
あるいは、現象も文章もある程度まで自分の心身に記憶しておくこともできる。
これらを次の再構築のステップで必要に応じて切り出して使う。足りなければ理解のステップに戻って新しく集めてくる。
■再構築
切り出した思考の材料を元に、ブレストしたり、ノートにあーでもないこーでもないと書いたり、描いたり、誰かにアイデアの壁打ち相手になってもらったり、試作したりする。ともかく頭の中のものを一度頭の外に出して、それを見て改良を加える。
脳内の作業台は有限。しかも作業しているそばから台に乗せたはずのアイデアが消える。なので脳内の作業台だけで作業をするより、脳の外にも作業台をつくって、そこで作業したほうが良いということ。
人間の脳みそは良くできていて、意識しなくても日頃からこういうことをやっている。だから日常出くわすような問題には即応できてしまう。でもそれ以外の(つまり難しい)問題に良い意見を出すには、上で説明したプロセスを意識的に実行する必要がある。
守破離っぽくもあるな