貧民に許された数少ない娯楽のうちの1つが怒りだという言説を、ツイッターで見た。確かにそうだ。
貧民に許された数少ない娯楽の1つに、自分とは切り離された他人の死があると思う。不治の病で若く美しい人間が死んでしまうラブストーリー、沢山の人が無残に死んでいく戦争映画、多くの人に慕われた有名人のお別れの会、有名な死刑囚の死刑執行の知らせ。
これらが一種の娯楽として垂れ流されてきた結果が、今日日のインターネットだ。
車が人間に突っ込んだ現場の写真、歌舞伎町で刺された男の写真、小学生が刺された現場に残る血の写真。どんな人間が人を殺したのか、どんな人間が殺されて死んだのか。
怖いね、可哀想だねという言葉とは裏腹に皆一様にそのことを口にして、写真を共有し、騒ぎ立てる。
怖いね、可哀想だねなんて建前だ。本当はその衝撃的な物語や映像、写真を見たくて見たくて堪らないんじゃないか。
自分とは関係のない人間の死が、凶行が、つまらない日常のスパイスになってはいないか。つまらない日常を共有する周りの人間達との、コミュニケーション道具になっていないか。「インターネットにこんな画像を上げるなんて酷いね」と話しながら、どこかでワクワクしているんじゃないか。
所謂「無敵の人」やその被害者を自分とは遠い存在として捉えることでその娯楽は成立している。しかし、こんな社会に暮らし、そんなことをほんの少しでも楽しんでいるような貴方は、私は、無敵の人と本当に縁遠い存在だろうか?
今頃気付いたの?どんくさすぎる
テレビは常に誰か死んだニュースやらないといけないルールでもあるんじゃねーか? とは思っていた。
有線か衛星でええやろ いっつも関東ニュース様は地方ニュースより優先されとる 地元でも事件おきとるのに上書きされてくっそ腹立つわ~
そうだろうか。インターネットによって、「今日もうちの犬が可愛かったです。」のような出来事も膨大に発信されるようになり、それが経済的価値すら持つようになった側面を忘れて...