なんなんだろうか、キズナアイの宣材画像や衣装、構図が性的かどうか、って議論がされるときに、「オタクは、キズナアイで興奮してるくせにしてないと嘘をついてる」といったようなことを言い出す人が出始めた。
「童貞をこじらせたミソジニー≒オタクども」はあのキズナアイの宣材画像をみたら興奮するんだそうだ。
全然関係ない話なんだけど、おれはいわゆる両刀だ。同性の友達にたいして、性的に好きでなく人として好きだという話をしているわけだが・・・。ごめん大嘘、両刀であることは、はなしてない。
何十年もかかって分かったんだけど、「あふれんばかりの性欲と加害性をもっている」男性で「誰彼構わずセックスする倫理観の外れた」バイセクシャルで「異常な性欲を内に秘めてる」オタクでも、
性的に興奮する対象とそうでない対象っていうのはいる。しかしそれだって状況や主観からの構図によって変わる。
キズナアイのことを性的に感じる時があるだろう。だけれどそれはキズナアイが単にアニメ画で、あの声で、あの肉体を持っていて、あの衣装だからでなくて、シチュエーションや場所やそのひとの思想なんかが絡んではじめて生まれるものだ。
逆に言えばNHKやyoutubeのキズナアイに興奮しないが、エロMMDだったら興奮するひともいるかもしれないし、まったくキズナアイに興奮しない人だっている。
これはわざわざいわなくとも当たり前だが、同性にしか興奮しない人も、そういう興奮をいだいたことのない人だっているのだから、
「男性でオタクなやつは」みたいな雑なくくりで性的目線で見ているかどうかなんて判別できるわけがない。
あの手の議論に触れるのは避けてるしするつもりはないけど、「特定の属性にいる人はあれに性的興奮を覚える」なんて言うのはちょっとどうなの?