極端な話だが、多くの人に取ってデーターとなりうるのは経験則や先入観だと思う。確かに、タトゥーをつけている人間には頭が悪いだのヤンキーだのあることないこと罵っていいというわけでもないが、タトゥーを怖がる人間がいる以上姿勢の善悪だけを問うのは無意味だと思う。結局のところ攻撃的な発言で場をかき乱す人間に対しては毅然とした態度で接することと、明確な理由(≠根拠)があってタトゥーを嫌っている人間の誤解を解くよう根強く語りかけていくしかない。それが偏見や差別をなくそうと運動したいと思う人達にとって必要な行為で、不条理に感じるかも知れないが呑めないなら黙って自分たちのコミュニティの中に潜んでいるしかない。
タトゥーを認めないのは前時代的だとか、日本は遅れているとか、あるいは拒否反応にデーターの裏付けがないだとか、そういう批判をしたところで結局「そう言われても嫌いなものは嫌いだ」という主張が引き出されるだけで何も建設的ではないと思う。それに、自分の体験を用いて他人の体験から来る思考や価値を否定しようとするのは、結局否定的な体験から結論を抽出して偏見をする側と同じようなことではないだろうか。きっと貴方の身の回りが「タトゥーをしたいい人たちだらけ」だったのと似たように、「威嚇する威圧的なタトゥーをつけた不良たち」がいただろう。肯定的なデーターだけで語るのも否定的なデーターだけで語るのも同じ穴の貉だと思う。
オウム真理教だからと言ってサリンをまくとは限らない 無色だからと言ってガソリンをまいて放火するとは限らない アメリカ軍人だからと言って沖縄で少女をレイプするとは限らない