今年も夏がやってきた。テレビをつければ慰霊式典の中継が行われている。
今年で73年目だという。
この時期になると、テレビでは突然戦争体験のドキュメンタリーや、戦時下を舞台にしたドラマを放送しはじめる。これはもうすっかり夏の風物詩になってしまった。
多くの家庭に設置されているテレビを通して、戦争を知ってもらう。
それ自体は悪いことではないと思う。
もう終戦から73年が過ぎた。生の戦争を知っている世代は減っている。
その前に、戦争を知らない世代が、戦争を知っている世代と情報を共有すること。
テレビから流れてくる情報は、私たちに様々なことを教えてくれる。
「この国には戦争がありました」
「この国には戦争のなか逞しく生きた人たちがいました」
知っておかなければならないことだ。
でも、テレビの報道は、いつもその事実を伝えただけで終わってしまう。
「戦争は繰り返してはならない」
ただ、それだけで終わってしまう。
どうしてそういう話にならないのだろう。ずっと不思議だった。
今でも不思議に思っている。
その代わり、国の決定の責任は、政治家だけではなく、すべての国民にかぶさってくるものだと思っている。
「たまたま戦争がおきていない」73年のそのいちばん端っこに、私たちは生きている。
毎年戦争体験のドキュメンタリーを見て、間接的ながら戦争を知った私たちは、戦争を避けるために最善を尽くさなければならない。
でもどうやって?どうやったら、戦争を避けられるの?
「民主的な国」に生きている私たちは、「どうやったら戦争を起こさないで済むか」考えなければいけない。
それなのに、誰もそんな話はしない。
私が知らないだけで、本当はみんな、そういう話をしているのだろうか。
言葉の限りを尽くして、それでもどうしようもなくなったその先で、戦争は「起こってしまう」。
私たちは、日本を「戦争しか選択肢がなくなってしまった」国にしないように、日々を積み重ねなければならない。
終戦の日は、毎年訪れる。
きっとこの先も、終戦の日が近づくと、テレビでは戦争を伝える番組が放送されるだろう。
日本の夏は、「戦争の悲惨さを学ぶ夏」から「どうやったら戦争を起こさない国にできるか、みんなで考える夏」へ、一歩前進しても良いのではないだろうか。
来年も夏はやってくる。