入院したと母親からメールがあり、その数日後、退院予定日とともに余命宣告されたことを知らされた。
体調が落ち着いていれば2〜3ヶ月。急変すれば、いつまで持つか分からない。会いたい人には知らせてと医者が言ったらしく、父さんが元気なうちに帰って来て、という内容だった。急な話ではなかった。父親は平均寿命に達しているし、数年前に癌で手術をしたこともあり、心の準備だけではなく、墓や葬儀などの物理的な準備もできているように思う。
父親について考えると、いつも子どもの頃を思い出す。母親が私へと買って来たシュークリームを欲しがった日のことだ。外は雪が降っていた。夜になって、喜んで食べようとしたら、ひとつくれと父親がテーブルの向こうから手を伸ばして来た。母親はシュークリームをしまった後で風呂か早く寝てしまったか、覚えていないが、部屋にいなかった。多数あるわけでもないし、私のために買って来てくれたものだ、冗談だろうと避けると、立ち上がって追いかけて来て、テーブルのまわりをぐるぐると追いかけられ、最終的に頭を殴られて怒鳴られた。シュークリームを持ったまま自分の部屋に戻ったが、なんでこんなもので殴られなければいけないのかわからず涙が出て、結局一口しか食べられず残りは全部少しずつちぎって窓から捨てた。ずっと雪が降っていたので埋もれて、両親は知らないだろう。そのときの、窓から見た光景を今でも覚えている。もう20年以上前の話だが、そこからずっと父親が嫌いだ。
実家を出た後、母親からは何かと父さんが会いたがってる、父さんが喜ぶ、と連絡があった。それを聞くたびに帰省する気が失せる。今回もそうだ。別にこのまま顔を見せず死んでも問題ない。余命宣告で誰しもが神妙な顔で相手のために動くわけではない。父親というだけで飛んで帰ると思うな。育ててもらってと言うなら、何千万だ返してやるよと思う。金で縁が切れるなら大歓迎だ。私を育てたのは母親だ。結婚は絶望的だが馬車馬のように働いてるので金はある。父さんの妹にそっくりだの、父親はやっぱり娘が可愛いんだねだの、ずっとまっぴらだった。兄にきつく当たるくせに私の機嫌を取ろうと様子を窺ってくる父親がずっと気持ち悪かった。父親の兄への態度のせいで、母親は私よりいつも兄を気にかけていた。父親の猫なで声を聞くたびにずっと恨んでいた。父親が死ぬ間際にシュークリームの話をして殴られてからずっと嫌いだったと言ってやると思ってたが、30も半ばでその場が近づいてくるとさすがにそんな考えはなくなった。なくなったが、なんで自腹で高い飛行機代出して、貴重な休暇使って、嫌いな相手を喜ばせに帰らなきゃいけないんだ。単純に面倒臭い。母親は心配なので、母親の顔は見たり助けたりはしたいが、父さんが、を頭に付けられらるともう駄目だ。嫌いだとは母親にも最後まで言わないつもりだが、それ以外に死ぬまで帰省しない言い訳が浮かばない。