2016-05-07

大槍葦人の絵柄

新刊を見た

もうあの頃の感情が篭った絵は戻ってこないんだろうな… そう思うと少し悲しい

今でも他の絵師とは一線を画しているクオリティがある、本当に圧倒的だ

ただ、昔の絵と比べると、明らかに目が死んでる

感情が抜けてしまっている

パーツを組み合わせた、技術制作している絵だ


それでも俺は彼を尊敬している

今でも俗に言う信者だろう

彼は自己表現アーティストからプロデザイナーになったのだ

誰が為に作ること、需要に応えること、目的を果たすこと、そして、それでお金を稼ぐこと、それがプロデザイナー


いつか金銭的にも時間的にも余裕ができたなら、昔のように1枚に1週間も時間をかけて自身のために絵を書いて欲しい

その絵が、ロリだとか、貧乳だとかはどうでもいい

ただ、昔のような感情の篭った絵になることを願う

その絵は、彼にしか描けないんだ



って、見返すとすげー気持ち悪い文章だな

こんなん増田しか書けないわん。。

当たり前で誰でもそうなんだけど、クリエイターって才能(アーティスト性?)が枯渇すると技術で補うと思う

どんな制作でも技術だけは絶対に上がっていくから

でも、技術だけはどんどん上がっていくもんだから、いつしか「才能8:技術2」だったのが「才能2:技術8」とかの比率なっちゃ

そういう状態を俺はスランプだと思っていて、ここで如何に自分らしさ・才能を再発見して、それを伸ばしていけるかが大切なんじゃないかと思う

これに気づけない人が多くて、皆同じような技術で作る作品になりアーティスト性を確立できないでいる

高まった技術自分の才能だと勘違いしてしまうのだ(逆にデザイナーは「才能0:技術10」でもOK)

かなり主観的な考えだけど、大槍葦人技術作品でも超クオリティを出せる凄い人だ。「才能2:技術100」みたいな感じで他の人とは総量が違う(というか、昔を引きずって考えないほうが良いのかなあ…、今は「技術100」が「才能」になっている節があるし…)

例えば、うすた京介は、新作のやつは完全に技術で描いているんじゃないかなー(彼は凄く悩んでいるとは聞くけど)

浦沢直樹は極端なんだけど、絵(彼にとっての技術)はどうでもよくて、ストーリー(彼にとっての才能、彼らしさ)が重要みたいなこと言ってた

僕も彼の漫画ストーリー面白いから見るし、そしてそれは彼にしか書けないとも思う

人によって、ここでいう才能・自分らしさ技術は異なるんだけど、技術に溺れないように自分を見つめなおして欲しい

なんて、偉そうなことをつらつら書いてしまった!

めんご!

横槍メンゴ

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