2015-09-13

まらないこと、どうでもいいことを言える人が羨ましい

TwitterとかのSNSをやっていて思うんだけれど、どうでもいいことを気ままに言える人が羨ましい。

何かに対する感想とか意味のある内容ならまだしも、主語目的語を欠いた当人以外には解読不可能であろう発言とか、「眠い」とか「寒い」とか、

情報としての価値なんかほぼないような「あ~」とか「うーん」みたいなやつ。

私は発言に何かしら意味価値がないとダメだ!って強迫観念的に思い込んでいて、

何か言いたいことがあったときにも、ちょっと気を利かせた(つもりの)修辞とか、ギャグっぽくオチをつけたりとか、とにかく何かしら付加価値を与えようとしてしまう。

たまに☆とかもらえたりすると嬉しい。でも、それをやってる私がネタ職人的に徹底されていて抜群に面白い、ってわけでもなくて、素人がウケようと背伸びしてる感じになってるな、という自覚もある。

それに誰からも反応もらえないと「なんでお前はこんなつまらないことを言ってしまったんだ、死ね、つまらないことを言うお前は死んでしまえ」という自己嫌悪に陥る。

からといって、肩の力を抜いた発言をしてみると、今度は「意味のないことを言うべきではない」という強迫観念、「つまらないことを言ってしまった!」という罪悪感で心が折れそうになる。

そうやって、必死に「ちょっと面白いことをいう人」みたいな立ち位置を守ろうとしてる自分にたまに気づいて、虚しいなぁって思う。

周りを見ていると、そういう強迫観念とか自己嫌悪とか承認欲求みたいなものとは縁がなさそうな、

肩肘貼らない発言をする人のほうが人とうまくやれている気がする。

いいなーって思う。

お門違いの嫉妬なんだろうけれど、何の葛藤もなく天真爛漫に自分の思うことを発言できている人が羨ましいと思ってしまう。

きっと彼ら彼女らは、自己嫌悪自己愛自分の中で適切に処理されていて、自分価値肯定された生き方をしているから、

無理にそんな些細な発言価値を加える必要がないんだろう、って思ってしまう。

まらない、どうでもいい、発言自己嫌悪自己愛もくっついていない、気楽で、何気ないことを言える人が羨ましい。

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