2015-06-04

フェミニストへの質問(「善に対する正の優先」に関して)

フェミニストの方々(あるいはフェミニズムに詳しい方々)に聞いてみたいことがあるので書いてみます

私は個人主義リベラル男性です。私はフェミニズムを支持しておりますが、それは以下の理路によるものです。

ここで以下の質問があります

フェミニストへの質問1:以上のような個人主義リベラル観点からフェミニズム理解は、ほぼ「リベラルフェミニズム」に重なるものとして理解してよろしいでしょうか?

上記のようなフェミニズムに関しては私は100%支持をしています

一方、私の理解が追いついていないのは「ラディカル・フェミニズム」についてです。

ここから理解が乏しいので)間違ったことを書くかもしれませんが、上記の(A)-(D)の理路のような(個人主義的?)フェミニズムにおいては「善に対する正の優先」というテーゼが成り立っているように思います。つまり、「善い/悪いcapability」というものの内容については特に言及されておらず、fairnessの貫徹のみが求められているように思います

【*補足:ここで「善に対する正の優先」という用語は、このサイトの説明における「善の構想の複数性の尊重」の意味で用いています。「善」「正」の定義についても同様の政治哲学文脈を踏まえて議論しています*】

一方(もし間違った理解であったらその旨ご指摘ください)、「ラディカル・フェミニズム」においては「capability」の中でも「権力をつかむ(男性から権力を奪う)ために有用なcapability」が「善い」ものとして優先されてるのではないかと感じています。例えば、フェミニストの中にフェミニズム新自由主義親和性の高さに懸念を表明している方々が散見されますが、そのような状況は上記のようなラディカル・フェミニズムにおける「善の優先」の存在を表しているように思います

ここで以下の質問があります

フェミニストへの質問2:ラディカル・フェミニズムにはこのような「善の優先」が存在する、というのは誤解でしょうか?

フェミニストへの質問3:もし誤解でないとしたら、ラディカル・フェミニズムにとって、そのような「善の優先」の存在本質的ものなのでしょうか?

私にとっての「ラディカル・フェミニズム」の「分からなさ」というものは、以上のような「善に対する正の優先」というテーゼがラディカル・フェミニズムにおいてどのような位置を占めているのだろうか?というものです。

フェミニストの方々(あるいはフェミニズムに詳しい方々)にその辺りをお教えいただければ幸いです。

(あるいは、「この本を読め!」というコメントも歓迎いたします。できれば余り厚くない本だとありがたいです)

  • 増田の期待するフェミニストじゃなくて申し訳ないが、 ここから(理解が乏しいので)間違ったことを書くかもしれませんが、上記の(A)-(D)の理路のような(個人主義的?)フェミニズ...

  • 引用ブロックがあるけどその質問は引用なのかはっきりしてほしい。引用ではなさそうだが。 知らないで使うことはあまりないと思うが、その枠つき表記は「引用ブロック」という名前...

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