2015-05-03

私は鼻くそを食べます

 食べます

 生まれつき鼻の穴が大きい、ということもあるのでしょう。子供のころからカジュアルにぱくりといっていました。親に何度叱られようとやめることはできませんでした。この食感と風味は他に代えがたいものがあるのです。がっつきすぎて鼻血を出すこともしばしばでした。しかし厄介なことに、この出血後の鉄の風味の色濃いジャンキー鼻くそもまた、味わい深いものがあるのです。わかる方にはわかっていただけるはず。

 それから年月を経て、高校生になったあたりでしょうか。 私は、鼻くそ自分好みの状態へ「精製」させることに興味を見出しました。それまで私は、鼻くそを掘り出し次第すぐさま口へ運ぶスタイル、いわば「取って喰い」を繰り返していました。そのため、常にパサパサの削りカス状態または砂粒状の固形摂取せざるをえませんでした。しか部活動など何らかの理由により、数時間鼻腔を放置していた後に食べる鼻くそが独特の歯ごたえと味を持っていることに気づきました。いわゆる「半生状態」の鼻くそ、それこそ私の好みだったのです。学生の時分はとかく生き急ぎがちですから、我慢というのはなかなかの苦行であり、ふと緊張が途切れた瞬間無意識に指先が鼻孔に侵入してしまうことが幾度もありました。しかし、辛抱してから心地よい体積をえた鼻くそを堀りおこし、その艶めかしくもつややかなオーガニック・フードを食する行為は、安易形容しがたい格別の悦びをもたらすのです。わかる方にはわかっていただけるはず。

 そんな私も今や大人。時を経て鼻くそを掘削するテクニックは洗練され、その辺の粗野な人間たちには決して引けを取らないと密やかに自負しています。ですが私は、のんきに人前でほじほじと鼻くそ取って喰いを披歴するほど不躾な人間ではありません。デスクワークの際は、考え事をするふりをして手を顔にやるときにふとパクリ。移動の際は、鼻のむずがゆさを装いつつこっそりパクリ。そして家では、誰もいないときを見計らい余裕のパクリ。このあたり、わかる方にはわかっていただけるはず。

 このように私は、他人に情け容赦のない排他的で息苦しい現代大人社会において、はなばなしい鼻くそライフを謳歌しています。皆様も万一お見かけの際は、ぜひ見て見ぬふりをしてあげてください。人格否定などもってのほか、優しく指摘もありがた迷惑。大人の対応がお互いのためです。こちらも悪気はないのです。ただ口ざみしいだけなのです。堪忍してね、ほじほじ。ぱくり。

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