アンドロイドモノといえば、SFだ。私はSF小説が大好きだ。A. アシモフ、P. K. ディック、みんな未来を提示してくれる。そんな風に、このアニメもまだ見ぬ近未来を示してくれると思っていた。
未来は今とは違った世界になるだろう。ガジェット、進化した概念、未来へのワクワク感こそが私の期待したところであった。人間と見分けのつかないアンドロイドが登場すれば、情がわいて人権問題のような問題も発生するだろうし、そもそも、アンドロイドを人間が受け入れられるのか? といった問題だってあるだろう。そんな、大々的な問題に正面から向き合わないまでも、背景として整合性のある未来(そして可愛い女の子)を描いてくれるのを期待していた。
一言で言うと、「しっかりしたSFアニメ」が見たかったと言うだけなのです。
しかし、私が見たいアニメと作り手が表現したいことは違うと言うことが話数が進むごとにあきらかになった。結局は物語の中で技術が置き去りにされて、アンドロイドも未来という背景も都合の良い理由作りだけに利用され、感傷的な「アンドロイドと所有者の別れ」だけが強調されている。物語の核心はSFでもなく、未来でも、アンドロイドである必要もなく、「余命僅かの美少女闘病記」か「壊れていく認知症老人との別れ」といった、既に使い古されたチープなお涙頂戴モノとしての物語なのではないか。
可愛い女の子と未来を描くSFが見られると勝手に期待していた自分が間違っていたのだが、もうちょっとSFのScienceの部分に力を入れて欲しいなとおもう。作中で、記憶をコピーできない理由や、そもそもなぜ人間に近いアンドロイドが可能になったのか、その影には技術者の活躍が有るはずだとおもう。技術者のような舞台の影を描かずして(直接でなく間接でも)SFっぽい物語を作るのであれば、どうしても物語が薄っぺらくならざるおえないのではないか。
やはり、「泣ける」と「カワイイ」だけで「SF」が置き去りにされているのは悲しいものだと思う。
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以前、
これまで見たアニメ一覧を記録しておこうと思ったので。 8年くらい前から見ている。もうアラサーか... 忘れそうなのでメモ。 順番は思い出した順で、大体見た順になっているはず。 ...
このアニメに期待していたこと アンドロイドモノといえば、SFだ。私はSF小説が大好きだ。A. アシモフ、P. K. ディック、みんな未来を提示してくれる。そんな風に、このアニメもまだ見...
ダイザッパーかと思ったらあれはスターシップ・オペレッタだった。