そして、例えば「自己犠牲」とか「躯を灼く蠍の炎」とかいうワードに惹かれてしまう
私は、人の要求を突っぱねるのがとても苦手だ
人から頼まれれば、それがどんな理由であれ、断りたくなくなってしまう
曰く、以下のような言葉で語られる
「断る必要なんてなかったんじゃないか?」
「自分はもっと自分を犠牲にして相手に合わせた方が良いんじゃないか?」
「みんな(←誰が?)は当然のようにそうしてるんじゃないか?」
「世間(←どこで?)では、そうすることが常識で、最低限の礼儀なんじゃないか?」
「他人の要求を失礼かつ非常識なやり方で断り、相手を怒らせ、拒絶された自分は、生きる価値などないのではないか?」
あなたには分かるだろうか、この様子が
もはや、混乱の極みである
誰にだって自分の都合というものがあり、他人の要求を断るのに何の引け目を負う必要もない
普通の言葉遣いと態度をとっていれば、要求を断った程度で怒らせたり拒絶される謂れなどないのだ
――しかし、それが実感できない
頭で分かっていても、不安はどこまでも付いてくる
断る理由が正当であるか否か、断り方が常識的であったか否かをまともに判断する事が出来ない
それは「相手の要求に沿えないなら、相手に受け入れられないし、そんな自分には価値がない」という言葉で語られる
「相手の要求を全面的に受け入れ、時にはまるで、その軀を火に掛けるような自己犠牲をしなければならない」
そんな必要なんてないのにも拘わらずも、と
曰く
曰く
――"他人にとって都合が良い人間"に成れない自分に価値なんてなくて
曰く
――無条件に愛されたり、大切にされたrい、受け入れられたり、なんてあり得なくて
曰く
――意に沿えない為に見捨てられるのが怖くて、その結果奴隷のようになってしまうのを、否定なんか出来なくて
――そして、そして、そして……今日も、明日も、昨日も、ずっとずっとずっと、どこまで辿っても、どこまで歩んでも
私は私自身とその尊厳と存在価値を、他人に明け渡すような自己犠牲奴隷野郎に落ちぶれ、負け犬根性まっしぐらな愚かな人種でいることを変えられないのだ
どうだろうか 自分は親に「あなたが良くても悪くても、あなたはあなただし、私はあなたを愛してます」と言われてきたじゃないか どうして、どうしてそう卑屈になる必要があったんだ...