2014-06-24

自制的排他主義

排外主義にも二種類あって単に他を廃するやつと自分の中に潜む「異端要素」をも廃するやつがある。

日本場合は自制的排他主義が強いと思うね。その最たる例が日本一見似た真面目な気質をしたドイツ人である

ドイツ人は「懇切丁寧に相手に説明しないと伝わらない」ことを前提としてものを話す。

これは日本人からすればくそ真面目に映る部分であるが、欧米人からすればそういった部分は別にくそが付くほど真面目じゃないのね。

個性という言葉があるけど人間そんな単純じゃないから個性になんてなれるもんじゃない。

必ず集団の中には個性的人間が出てくるものだし、1人1人を見てもね、必ずなくて七癖どこかに個性がある。

そこを己をも削り節のごとく削っていくとシンプルイズビューティフルのつもりがガリガリのダイエッターのようなことにもなりかねない。

もはやライフイズビューティフルのような世界だし(うまいこといった)、ビューティフルマインドのような人間も出てこない。

もっと排他という行為自体ドMなまでの自制が待ち受けていがちなのは言うまでもないが。

結局のところ欧米的な個性尊重の流れでいくと差別を撤廃するしかないし、そう考えると日本という土壌は差別親和的といえる。

それに日本差別反対といったらしばき隊であるとか精神障害者と強く結びついてしまうのが実情で、

何か新しいことをして差別化を図ろうとする際にどうしても消去法でものを考えねばならない。

その方法は我々日本人が「オトナになる」(社会への適応性を高める)過程で一本槍の方法を学んでいくのである

確かに日本社会への適応性を高めるという点ではオトナであるが国際舞台ではあまり役に立たない槍過ごしかたと言えるかもしれない。

国際舞台の話に対してアレルギー反応を起こして「ここは日本だぞ」と言っている場合かどうかは、やがて時の流れが教えてくれるだろう。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん