先日悲しい事があった。
私はあまり、というよりほとんど友人がいない。毎日ネットの中をふらふらしていた。
すごく嬉しかった。実際に会うことにもなって、それからは時々泊まったりしてお互い共通の好きなことに関して酒を飲みながら語り合っていた。
お互い違う意見があればとことん話し合って、自分と異なる意見を聞いてお互いおもしろいと、とことん語り合う仲になっていた。
その友人はツイッターをしていた。
友人のアカウントは非公開のもので、私はそういったSNSは苦手だったので特に関わることはなかった。
5人以上フォローしろといわれ、そのうちの1人に友人をフォローした。
友人のツイートは日々のことを徒然書いているもので、嬉しい内容があれば日々のうっ憤を連ねていた。
ある日のツイート。
あまり良い内容ではなかった。
友人が辛い気持ちも十分わかる。
私はじゃあこんな考えはいかがだろう、というリプライを送った。
そのリプライにはすぐに返信がなく少し不安になった私は少しして言い過ぎた事に対する謝りのメールを送った。
私が一方的に重大なこととして感じてるだけの可能性も捨てきれず
少し恥ずかしさもあり、謝りとこちらの近況も少しのせたメールである。
1日おいてメールの返信が来る。
そのメールは簡潔なもので鬱々としたものをみせてしまい悪かったという内容であった。
私はこれでひと段落したと思っていた。
しかしそれで終わりでなかった。
さらに1日おいてツイッターに、自身の私生活において意見はしないでほしいといった内容をツイートしていた。
私宛のものではないが、タイミング的にも明らかに私に対して言っているものであるとわかる。
残念なことに私は短気な性格でもあり、じゃあなんで他人が見れて返信のやりとりもできるようなサービスにそういったことを書いたのかと。
かわいそうだねって思ってほしいだけなのかと。
私が悪かったんだろうなと思う。
友人はお前ってそういう奴だったんだな、と一言ツイートして以降やりとりは一切なくなってしまった。
お互い負けず嫌いのこともあってか互いをリフォローすることもなく、ブロックをすることもないまま日がすぎている。
(友人のプロフィール欄がブロック推奨と書きかえられていて、あれはきっと私宛なんだろうなあとは思っている)
人との関係というのはとても繊細で崩れやすいものであるのだなと実感した出来事であった。
相手の意志やなにかに背くものを意見した瞬間、今まで築き上げたものが瓦礫と化してしまう。
今回の出来事は私に非があるかもしれない。私が知らずに地雷を踏んでしまったのだ。
とても気分の悪い終わり方をしてしまった。
きっと私が頭を下げればまた友人関係は続くかもしれない。
けどきっと私は友人に対して今までのように意見をいえることはないだろう。
仕事一筋で生きていけばいいのか。
ツールのせいにしてもいいし、他人のせいにしてもいいとおもうよ。 増田が本当にそれでいいと思うなら。 友達の何をいままでみてきて、一緒に居て何が楽しかったのか。 一緒に居て...
割と長年の友人との間で、元増田と似たようなことになった。 Twitterって「つらい」「しんどい」って書けば誰かが心配して慰めてくれるんだもん。 だからそこに依存してエスカレート...
辛いんだよ!構ってよ!なぐさめてよ! 頑張ったんだよ!褒めてよ! と、手を変え品を変え言っている自分、というのを自覚するところからだな。 皆が。
やはりtwitterはリアル知人とやるもんじゃないな 独裁スイッチで消しても(removeしても)気にならないような距離感がいい
ハリネズミのジレンマとは - はてなキーワード
具体的なことわかんないから言いにくいが。 自分と関係がないことは議論の対象にできても、トラウマになっているようなことは議論の対象にしたくないこともある。 正しいこと、では...
そりゃああんた……友達いないはずだよ。 人に好かれることないだろうね。
俺も似たような体験をしたことがある。 「そんなにセンシティブな話なら不特定多数の目に留まるところに書くなよ」と思うよね。 どれだけの仲だったか分からないけど、件の友人との...