2011-03-10

自己防衛の最先端

自分にとっての自己防衛の最先端は"諦める"です

今日死にたいエントリは、昔の事を書きます

文を書くのは、いつだって自分の為なのだと思い、筆を取ります

から自分は人との関わりに薄暗いものを感じていました

目の前で話している人物がその実、こちらに敵意があるのではないかと疑うのです

「笑ってるから楽しそうだ」「眉を潜めているから苦しそうだ」「涙を流しているから悲しそうだ」

感情感情として、理解は出来るのです

ただ、その表情一つ一つに裏が見えるのです(たとえそれが自分だけの錯覚に過ぎないと理解していても)

私が話した事を足掛かりに、少しずつ私の警戒を解いて、気を許した所で全てを持って行ってしま

傷付きたくないから、壊れたくないから、人は防御をしま

いものに触れれば手を引っ込め、大きな音がすれば耳を塞ぎ、痛ければそこを抑える

心も身体と同じだ

怒られれば耐えるし、イライラしたら発散しようとするし、寂しかったら人に寄り添う

嘘を吐かれたり、見たくない部分を見てしまったり、裏切られてしまった

傷付けられてしまった人は、二度と同じ事が起きないようにしま

自分にとっての防御は、疑い壁を作り、社交用の自分を作る事でした

人間社会で生きていく人間です

少なくとも、自分はその中でしか生きられなかったし、今でもそうです

から、辛くとも関わりを持たなくてはならなかったのです

から、傷付いても痛くない自分を作る必要がありました

理想的な人格

明るく、社交的で、誰とも対立しない聖人君子

その自分を繕っていれば、私は安全だったのです

私は愚かでした

自分の後ろで、安全な日常を送れば良かったのです

ある時、私はすべてを話してしまったのです

自分が本当はどういう人間で、どうして自分を作っていたのか、その理由さえ

私は我慢が出来なかったのです、寂しさに

昔の傷の痛みも忘れて、寂しさに任せてすべてを話したです

それは暖かく向かい入れられました

私はその事に舞い上がりました

信じる事は素晴らしい

本気でそんな事を思っていました

その時の私は確かに幸せだったのだと思いま


長くは続きませんでした

関係は壊れてしまったのです

要因は、重要でなかったように思いま

男女関係、距離感の取り方、依存と信頼、自分の委ね方、他人の受け入れ方

そんな所でしょう

壁を作っていた為の経験不足と言われても反論はできません

悪い相手に会ったからと言われても否定はしません

自分にとって重要だったのは、関係が壊れてしまった事だったのです

どれだけ取り繕っても、その上で自分を出しても

結局は壊れてしま

それが自分の所為であろうと、他人の所為であろうと、もはやそんなことは関係なく

関係を結ぶ事自体が、もうどうしようもなく嫌になってしまったのです


人間である以上、関わりたいという気持ちを消すことは出来ませんでした

それでも、壊れてしまうという強迫観念は消すことが出来ないほど大きくなってしまいました

自分を守りながら、それでも人と関わる方法

私にとってそれは、諦めることでした

傷付くことも、裏切られることも、壊れることも

何もかも諦めて、自分にはどうしようもない事だと

そう信じれば、言い訳に出来ると思うようになりました

判断することを放棄してしまえば良いのです

考えることをしなければ、諦めてしまえば、どれだけ辛くても掛け算してゼロに出来る

生きる事を辞めてしまえば、何も感じなくなります

自分が居るから苦しければ、自分を消してしまえば良いのです

諦めた結果自分は、だから今日も"死にたい"と言うのです

生きているのは、死ねいか

"死にたい"と言うのは死ねいか

死のうと準備をして、首に縄をかけるのも死ねいか

生きる事も、死ぬ事も諦めて

その矛盾を考えることも諦めて

何もかも諦めた先に、今の自己防衛の最先端があります

今日死にたいエントリした

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