お金というのはとても恐ろしいものだ。3万円のために人を殺すこともあれば、100円のために罪を犯すこともある。
だが翻ってみてお金とはなんだろうか。おちんちんびろーんに他ならない。
おちんちんびろーんはどんな言葉に置き換えてもらってもかまわないが、つまりは置き換え可能な何かの共通認識のための記号だ。神様みたいなものかな。場で共有認識されるお郷のルールだ。お金があれば生きていけると思う人もいるし、お金がないので生きていけないと思う人もいる。実に大層な影響力があるではないか。
お金が影響力を失う時代は歴史をみるに結構こまめにやってくる。大抵どこの国でも70~80年に1回ぐらいはこの影響力(共通認識)がリセットされている。日本だってお金の形が一緒だから気がつかないだけで、仕組みは結構こまめに変わっている。マイナーチェンジだけどね。後はこのマイナーチェンジでどこまで変わる世間に合わせられるかだけだ。建物の普請と同じようなものだよね。いまのところ中のひとたちは頑張っている。ほめてあげたい。
最近のお金の実態をあげつらってみよう。今はお金はお金で稼ぐのが一番効率がいい。その前はお金で商品をおさえてお金にするのがよかったし、その前はお金で労働力を買って、商品にして、お金にするのがよかった。でも、今は本当にただの数字でお金を稼ぐだけならお金だけで済む。
お金は功績だった。これだけの働きをしたからそれに見合うだけのお金を持っている。お金を持っているということは名誉も兼ね備えていたし信頼にもなった。だからこそ信頼や信用をはした金で売り払ってマルチ商法とか炎上マーケティングなんてこともできる。信用の前売りだから長い目みたら損するとおもうよ。
いまは功績を残すまえから期待値で計算され、見込みで決算されるようになってきている。だからお金を稼ぐならお金を動かすだけで充分なのだ。これはどんづまりの道だ。だけど進まざるをえない。アラブドミノで中東がひっくり返っているがそこから派生するお金、コモディの流れの変化は日本にも数年以内に到着するだろう。
変わってから仕組みで対処するまえに、こうしたいという理想が必要なんじゃないかなと思う。ベーシックに立ち戻るとお金なんていうのは、感謝された印みたいなものだ。感謝されてもない人がその大半を保持したり、その流れにくみしない人がそれを薄くひろく集めたり、印だけ大量発行をしまうと根本が揺らぐ。誰かの役にたったからという功績と、必要とされたからという期待とでその社会を維持しないと原始的な理由でつまづいちゃうよね。そういう失敗も含めて社会、経済だけれども。
話題になっているベーシックインカムとか。生保とか年金とかもそうだけど、お金の手当でなんとかしようという感じ。
> ナウルという国 http://anond.hatelabo.jp/20110306084431
今就職できないよーとなげいている若い子だって、今身につけるべきは人から必要とされる、人に役立つ力なんだとおもうよ。それがあれば充分にやっていけるよ。くっていける。もし、必要とされているのにくっていけないのだとしたら、やっぱり根幹の部分がおかしいのだから、お金があってもだめなんじゃないかなとおもうんだよね。
え、必要とされていない?
じゃあ必要とされていない人同士であつまって社会でもつくれば? 後追いなのに先達と同じルールで戦ったって勝てないよね。
同じ社会動物のアリンコはそうするらしいよ。違う巣をつくるために飛び立つし、巣をつくる場所が充分にないと前の女王アリを殺してしまう群れもあったり、殺しすぎて群れごと滅びたりして、いろいろアリさんも大変だよね。
この文章は適宜更新します http://b.hatena.ne.jp/entry/okuzawats.com/archives/465 http://okuzawats.com/archives/465 http://twitter.com/fromdusktildawn/status/43614834679496704 ベーシックインカムの失敗例としてナウルが...
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http://anond.hatelabo.jp/20110306084431 ナウル http://anond.hatelabo.jp/20110920093454