順序が逆なんじゃね? 主人公とくっつく(受け入れる)ヒロインがいて、ヒロインが主人公を受け入れることは「普通の」恋愛話では自明なことだ。その上で、そのヒロインが処女かどうかで好みが分かれるということにすぎないと思う。
先天的な問題である顔の造作で「生理的に受け付けない」と拒絶するのは何の問題もない当然の行為で、後天的な(自己選択可能な)問題である「処女か否か」で拒絶するのは「精神的に未熟」「童貞キモい」「大人になりましょう(笑)」という発想はよく分からない
うんまあ、もう既にけっこうブコメで色々言われてるけど、そもそも「生理的に受け付けない」という表現が先天的要因限定で使われる言葉だと思っているのが間違いだね。
「たとえどんなにイケメンでも、処女厨だとわかった時点で生理的に受け付けない」って思ってる女(処女非処女問わず)はそれなりに多いと思う。
NaokiTakahashi したくない相手とセックスしなくてもいい権利は絶対に保障されなくてはならない。それはその理由が「顔がキモい」でも「処女じゃなきゃダメ」でも同じ。/先天/後天で割るのは性嗜好の問題に関しては筋悪と思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/shibata616/status/5194882673
これは単純に俺の興味で訊くのだが、美や芸術と、娯楽の違いって何だと思います?
カント『判断力批判』では快適と美について論じていて、快適は感覚的、美は感覚から抽象化されたイメージやパターンに関するものだと言っている。
イメージやパターンの背後に当初考えていなかった法則があって、それに気付こうとすると美を感じる。
あるいは最初に目的・概念があって、そこからイメージやパターンを膨らませて、当初の目的・概念を越えたものになると芸術になる。と言っている。
イメージやパターンと、法則・目的・概念の行き来が美をもたらすというのがカントの考え方だ。これは一見もっともらしい。
その他色んな見方があると思うけど、どんな見方があるのか知りたい。
今までの話にも出てきたけど、権威というのも確かに一つの関連事項のように見えるね。
10ページで1万5千円、つまり1ページ平均1500円、20ページで2万8千円で同1400円、100ページで12万2千円で同1200円。
こんな価格じゃ普通とてもできない。だからみんな驚いてるわけで。
100ページのサイトなんて、コーディングだけではなくて管理コストも掛かるし、たとえば下記の単純化したシミュレーションで
給与・・・20万円
人件費総額・・・30万(社会保険など込みで、単純に1.5倍で計算)
30万円を160時間で割ると時給は1875円。これ、原価。
もちろんこれに家賃だったり設備だったり福利厚生費だったり色々掛かるし、当然利益分も必要。
ということで普通は原価に2~3倍掛けた金額が「1時間あたりの単価」となって、最低でも3750円。3倍で5620円。
100ページ制作時の平均ページ単価の1220円で計算すると、つまり1ページを18分で作るということになるが、これはかなり難しいはず。
だからこんな値段では、かなりの工夫がないと(単に手打ちでやるなんて場合だと)実質不可能であることが簡単にわかる。
いろんな会社から受注してるんだろうから、デザインもまちまちなはずで、それをCSSも込みでこの値段ってのは業界にいる人なら(いなくても)やはり衝撃的で、だからこそほかの同業見てもこんな値段が出てないはそういう理由だというのがすぐにわかると思うんだが。
昔の軍艦ってのは砲弾とその破片を受け止める前提で作ってあって、装甲が厚い。
するとフネは大きく重くなるが、大砲をぶっ放すときに反動を受け止めるためにもある程度図体の大きさと重さが必要なので、そういう事情もあって船体は大きく重く堅い造りだった。
でも今の軍艦にはそんなに分厚い装甲はないよ。ロシアのキーロフ級なんて特別な例はあるけれど、まぁあれは化け物だから。
艦上にレーダーやアンテナなどの脆弱なハイテク装備がこんもり載っていて、攻撃も防御もそれに頼っている現代では
・まずは敵に見つからないことを目指す
・撃たれたら科学の力で敵弾を逸らす
・それでも敵弾がこっちに向かってきたら撃ち落とす
という方法で身を守っている。装甲を厚くしたところで敵弾が命中すればハイテク装備は壊れるし、図体が重く大きくなると隠密性や回避能力の点でかえって不利になるからあまり丈夫なつくりはしてない。
ま、最近はテロリストの体当たり攻撃とかあるご時勢なので構造を強固にしなくちゃいけないのかもしれないけど、それでもなお側面は難しいだろうね。正面は衝角とかドリルとかつければ強化できると思うけど。
お前芸術は初めてか?力抜けよ まで読んだ
『自分は間違っている』ということを認めてしまったら、その『自分は間違っている』と認めた自分自身も『間違っている』というパラドクスに陥る
よって自分自身の間違いを認めたくても認めることができなくなる
昔からmidiとかBMSとかネットや同人イベントで公開している人がいて、その流れも無視できないけど、やはりVOCALOIDと動画サイトのコンボで一気に認知が広がったように思う。
俺は小説同人の人だから、漫画同人の人のことはまだ分かる。だが、最近は参加してないからコミケの趨勢がよう分からんのだけど、音同人の勢力もまた強まっているのかしら?
というのは半分冗談の元増田ですが、元にしているデータをみてると
どうしても20代から50代には差を感じないんですよねー・・・
しいて挙げれば30代の0冊がちょっと目立つくらいだけど8冊以上読む割合が一番多いのも30代。
それを若者のせいにするにはちょっと酷なんじゃない?って感じ。
そりゃ20-29歳より50-59歳のが倍以上長生きしてるから絶対量は単純に倍はあると思うけどさー。
シンプルに考えるのは良いが、立てる問いを間違えてはいけない。
Q:俺が低賃金なのはなぜ?
1.社会のせい
2.自分のせい
どっちも有り得る。ただし、この問いの答えがどっちであろうと、「ならば自分はどうすべきか」という問いの答えとはあまり関係がない。社会のせいであろうと、社会が救ってくれないんだったら自分で何とかしなきゃならないんだから。
http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20091025/1256479650
こういった匿名の場で反論めいたことを書くのは非常に気が引けるし、また申し訳なく思うんだが。
一言。
現在では「高尚」とされている音楽だって、元をたどればただの「ダンスミュージック」だったりする。
もともとはただの「コメディーショー」がいつのまにやら「高尚な舞台芸術」に化けてしまったりもする。
だからクラシックをきいて「なんとなく感動した」とか、絵画を見て「なんとなく綺麗」ってな評価をした人がいても
なんの問題もないんだ。ただの娯楽作品なんだから。
「芸術」のファン層ってのはは2種類の人間で構成されているようにみえる、
世の中にはさまざまな物に関心を持つ「オタク」たちがいる。
たとえばマンホールの蓋の写真を撮って集めている人がいたりする。
それと同じように、ある特定の時期、地域の音楽や絵画を集めて楽しむ人もいる。
それは問題ない。 多様なものに関心を持つことこそが人間らしさだと思うし、
そのオタクたちがあれこれ薀蓄を言うことも問題ない。
ここでオタク叩きをするつもりもない。
問題なのはその「オタク」たちの周りを取り囲むように存在する「権威主義者」たちのほうね。
かれらは単純にエンターテイメントを楽しめない。
その作品の背景にある思想を理解しろだとか、歴史を理解しろだとか、いろんなことを言う。
たしかに、そのバックグラウンドを知ることで新たな発見があったりすると楽しいし、自慢したくなったりもする。
でもそれは決して芸術の本質ではない。 本質はエンターテイメント・娯楽作品なんだ。
ただ「なんとなく楽しい」って感じることを大切に、もっと肩の力を抜いて楽んだらいい。
{なんか、まとまりのない文章になっちゃったけど(゚ε゚)キニシナイ!! }
ご報告をくださいました方、ありがとうございました。
十分なスペックでVistaを使っている人にとって、7の恩恵はそれほどないかもしれません。
個人のVistaユーザで7に乗り換える意味があるのは、微妙なスペックで走らせてる人でしょうか。
例えば、Core2の6000番台以前、メモリが2GB以下でオンボードグラとかの、ああ、ノートPCユーザですね。
カスタマエクスペリエンスで平均6超えしてる人は、Vistaのままでも良いかも。
細かい点のブラッシュアップによる「使っていて気持ちがいい感じ」は
これまで出たWindowsの中で最も高いかもと感じました。
その辺に評価基準を重く持つ人には勧められます。
近ごろ突然Ubuntuに目覚めて「Vistaとか糞。情弱のOS」と言い出した人にもお勧めできます。
フォントレンダリングはVistaから、あまり変わってないようです。
メイリオの視認率は高いですが、相変わらずWindowsは明朝体に弱いです。
でもアンチエイリアスの設定が少しだけ細かくできるようになった気がします。
(Vistaでもできたのかもしれませんが、自分ではそういう設定をした覚えがない)
使用頻度の比率が
だったのが
くらいになりました。
感心すると同時にブラウザシェアの今後がちょっと不安になりました。
Microsoftの製品はSP1が出てからが製品版というのは、やはり変わらず。
ただ今回は、諸々の対応が整うのを待つ。という意味合いが強いです。
良いOSになるだろうという予感はありますが、今Vistaからの移行をするかというと
「気になるなら乗せても損はしない(けど何かが動かなくなる可能性はある)」くらいなので
焦る必要はまったくないだろうと。
最後にもひとつ。
しばらくは設定をいじらず使ったほうが面白いみたいです(特にXPから一足飛びで移行した方は)
「Windows=調教しないと使い物にならない糞インターフェース」のイメージが自分にもあったのですが、
今回のは「わりと良くできてます」
Macっぽく「体のほうをOSになじませる」使い方をしてもそれほどイライラしません。むしろ楽しいです。
「Microsoftの社員が一所懸命に他のOSを参考にしてがんばった感」を存分に楽しんでみるのが、とても一興です。
という感じで、逆バイアス?をかけつつ素直な気持ちで7を評価してみました。
あのね、増田、極端に話題をずらしたら、それは主題がずれていると言われても仕方がないんだよ
例えば文学作家の名前をpixivで検索すれば、そこそこヒットするんだよ。その作家さん自身の肖像や、その作家さんの作品をテーマにした絵もね。
まあBLに関したらそりゃ知らんが
文学作品をテーマにした絵があるからといってそれがBLの発展に寄与するのかな?文学作品でBLも1ジャンルとしてあるけど、それが何かチボー家の人々を持ち出す正当性になるのかな?
そして何故BLに関しては知らない、とくくってしまったのかな?そこの話をしてたんだよね?
http://anond.hatelabo.jp/20091027203555
このテの作品に明るい作風のものが割と増えてきたように思うのですよ、pixivなんかを見てるとね。
と一番最初に言い出してBLの話をしはじめたのは増田で、この時点で「pixivなどで発表されているBL」に話題が絞られたと通常の人は判断するよね
http://anond.hatelabo.jp/20091029033855
というか、現実に即したなんちゃらとか救いのないなんちゃらってのはただの1ジャンルにしかすぎないでしょ。
高度も何もないっての。ただのエンターテイメントだよ?
と、彼女は増田の問題提起に即してBLの1ジャンル/現実に即したなんちゃらとか救いのないなんちゃらについて言及したわけだ。それは次のステップではなく、1ジャンルでしかないのだと。たとえ現実に即した救いのない暗いBLをテーマにしたとしても、それだけでは次のステップだとは呼べないのだと。
なのに増田の返しはひどい。ほんとうにひどい。
フランスのマルタン・デュ・ガールって作家が書いた『チボー家の人々』っていう小説は、同性愛がテーマになっていながらも高度な精神性を世界に認められたエンターティメントなんだけど。
まあ貴方が言ってることも割と極端だよね、って話。
馬鹿。もうほんものの馬鹿。何かを言い返したいが為だけに別にチボー家の人々はpixivBLの人たちと同じ観点で描かれたものではないのに持ち出してきた。
しかも的を綺麗にはずしている。単にチボー家の人々が高いステップにいる作品であると増田は言ったに過ぎない。そのジャンルそのものが次のステップだなんてことを証明してない。
で、それを端的に指摘された返しがこう。
まあ私も同じように極端だ、という話。
という話って君、そんな話じゃなかったよ。増田が極端なアレのはそりゃまあそうだろうけど、そんな話じゃなかったよ。
「まあ」とか「という話」「って話」という言葉を使ったって、くくれてないものはくくれてないっていう当たり前のことには気づこうね。
そしてくくれてないものをくくれてる顔をしてる時点で、その文章には増田自身の判子が押されているも同然なんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20091028202023
でも昨日このツリーで散々色々言われておいてまだうにゃうにゃ言っているのはすごい。頑張れ。
ちなみにチボー家の人々を持ち出したのは明らかに失敗だ。改めて見てみたら増田よ、プロタゴラスで同じこと言われてんじゃねーか!ばかばか!学べ!
俺はものごとはシンプルに考えるのが好きだ。二項対立とかは特に大好きだ。
Q:俺が低賃金なのはなぜ?
1.社会のせい
2.自分のせい
http://www.asahi.com/national/gallery_e/view_photo.html?national-pg/1020/TKY200910190476.jpg
このデータを見ての通り、月5冊以上読む人口比は20代から60代の中で60代が最低になっている。
60代になると本来学問や就労から離れ、他の世代より読む時間が増えるはずなのに
それがデータに全く反映していない。
老人にもっと読書を薦めるよう警告していきましょう。
スマン、はっきり言って俺自身があんまり理解できていないようだ。
しかし、元増田の言うように批判という手段が自分を守る為に行われるもの、だというのなら、そこには多少なりとも何らかの感情が付随するように思えてならない。
何というかこう、負けず嫌いとかそういう感情が、(元増田が言うところの)批判という行為の理由になってしまっているように思われるのだ。
もちろんそういう話は考慮した上で言ってるんです。
だから「使いこなせるかどうかはさておき」とわざわざ前置きしたわけで。
(つまり、「理解する」という言葉の意味を限定しているわけです)
まぁ多態性についてはそれなりに理解してないと話にならないだろうし、
デザインパターンはオブジェクト指向の概念そのものみたいなところがあるので、
構えられるほど自分に自信ないっていうか・・
今がやらなきゃいけないときなんだわ
自分を見つめる作業ってむずかしいなあと
普段ふらふらしてる分痛感する
私になにができる?ってかんじ。
まあ、まだ自由に動けるときじゃないのに無駄に焦ってる感はあるなあ
のんびりやります。
ありがとう