2009-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20091029174334

スマン、はっきり言って俺自身があんまり理解できていないようだ。

しかし、元増田の言うように批判という手段が自分を守る為に行われるもの、だというのなら、そこには多少なりとも何らかの感情が付随するように思えてならない。

何というかこう、負けず嫌いとかそういう感情が、(元増田が言うところの)批判という行為の理由になってしまっているように思われるのだ。

記事への反応 -
  • 批判をするのは、自分が正しいということを証明したいという守るためのもの。 どうだろう?あっているのかな?

    • 批判というものはつまりクリティークすることだ。 同語反復に見えるがそうじゃない、私の意図としては、この場合のクリティークは「分別する」や「判断する」といった意味合いを持...

      • 元増田の疑問は 物事を理性的に把握するための手段 を 批判をするのは、自分が正しいということを証明 するために使うということなのではないか? ということではなかろうか...

        • 「感情的」になってしまえば、批判が批判じゃなくなるってこと、とまとめられるかもしれない。 何故なら批判とは「理性的」に物事を判断する行為だからである。「感情的」になって...

          • スマン、はっきり言って俺自身があんまり理解できていないようだ。 しかし、元増田の言うように批判という手段が自分を守る為に行われるもの、だというのなら、そこには少なからず...

      • 批判というものはつまりクリティークすることだ。 トートロジーだ!!!!!

        • じゃあ言い直す。 『純粋理性批判』において使われている「批判」の用法こそが、正しい意味において使えてるんじゃないかな。 そうでないただディスるだけの「批判」はただの「非難...

    • そういう場合もあるだろうけど、それだけじゃなかろ。

    • 願望、使命感、嫉妬 いろいろあるんじゃない? 批判すること自体が目的になってる人もよく見かけるよ あるいは、批判をしないと成り立たない人とかね

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん