2007-03-20

だるい一言にはもう出会いたくない

例えば原作やらアニメ、なんでもいいけど、自分の好きな作品がちょっと微妙な展開だったりしたとき、当然「あー今回はちょっと面白くないな」とか思う。作者とか制作サイドが心配になったりする。えーどうなのこれとか思う。でもそれはできるだけ、言葉にしない。なんというか、これみよがしには言葉にしないようにしている。今回のことは今回のことで、次回にはまた期待しているから。今回面白くなくても、次は楽しませてくれる、そうだろう?って思ってるし、思いたいから。批判や批評が駄目だと思っている訳では全くない。でもそこで「なんかもう最近グダグダ」とか「○○も終わったね」とか言葉にされたものを見ると、なんかその期待を台無しにされたなーくやしいなーって思う。いや、だからって、それで傷つくほど繊細じゃないから、ネットもするし2ちゃんもするんだけど。

その人たちも、期待してたのに裏切られたからくやしくてそう言うんだろう。ていうか実際、期待を裏切られるのってほんとガッカリするもんね。その期待が高ければ高いほど。例えば作者が暴走しだして、今まで自分が好きだった作品が痴態(と自分に思えるさま)を晒しながらあらぬ方向へ向かっていくのを見るのは、確かに辛い。でも、ダメなものにただ「ダメだな」ってコメントつけることって、それでどうなるんだろうなーと素朴に思う。言ってどうにもなると思ってるわけじゃなくても、言うのか。ていうか、特にネットは簡単に言える場だから言う人が多いのか。

言いたくなる気持ちはわかる。というか、同じことをわたしも思ってる。でもなぜか私はそれを言葉にしないようにすることに一生懸命になっている。でも言う方を選ぶ人もいる。これは、私の方が懸命な態度なんだよ!だからお前等も言うな!とか、そういうことが言いたいんじゃない。いや、言いたいのか? でも。でもさー。

作品そのものを楽しむこととと、作品を楽しもうとする行為を楽しむことは、別だと思っている。読んだ漫画感想を書く、なんていう行為は、作品を楽しもうとする行為だと思う。咀嚼する行為というか。でも、そこで「今回つまんない」とだけ書いて終わるのは、口にパクッと入れたものを数回噛むかそのまま丸呑みしたのと同じようなもんだと思う。しかし「××のシーンはさすがにちょっと無しだと思ってガッカリした。あいつは今までそういうキャラじゃなかったのに…」とか言われると、納得する。肯定的な意見の場合もそう。言ってる内容に納得する以前に、あぁこの人はそう思ったんだーという意味でまず納得する。つまり私は「何故そう思ったのか、感じたのか」が明白でない自己表明が鬱陶しいのだろう。作品の面白くなさを、そのまま面白くないと受けとって「つまんない」としか言わないこと、それがつまらない。逆もそう。面白い作品をそのまま「面白い!」とか言う、それがもう本当つまらない。熱い食べ物口に入れちゃったときに発する言葉は「熱っ!」で別にいいんだけどさ。曲がりなりにも時間を割いて見たり聞いたりしたものを、つまんなーいだの面白ーいって。それは表現じゃない、感情の表出だろ。もっと言葉を尽くせよ。そしてそういう自己表明がネットには多すぎて、特に前者は「今回はちょっとダメだったけど、次は…!」と期待している私にとっては邪魔で、苛立ってしまうのだ。

…そういう意味では、他人の意見に安易に影響を受けちゃっているのかな。だとしたら自覚してなかったけど結構ガラスハートなのか。そんならお前ネット向いてないからやめたほうがいいよ。と脳内他者が言っている。そうかもしれない。ネットはよくも悪くもそういう場所なんだから。とか。そうかもしれない。

でも、お前傷つきやすいから家から出ない方がいいよって言われても、つまんないし退屈だし外出るし。ガラスハートでも、ガッチャガッチャン割っちまえばいいよと思ってる。ていうか向いてないからってやめられるほど、もはやそんな遠いところにネットは無いんだよな。

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