2022-02-27

どんなキチガイじみた病にも社会性がある

視点死刑とは心の中に植え付けられた観念視点へと変質し、常に内面を除かれ内側から支配さる状態を指すがこのような気味の悪い病にも社会性があると思われる。

例えば松本人志の「遺書」がそうである。この松本人志の「遺書」が日本お笑い会に多大な影響を与えたことに異論はないだろうが、お笑い会のみならず一般社会にも多大な影響力をもったのもまた事実であろう。

一般人が「俺はどちらかと言うと突っ込みタイプ」とか「俺はどちらかと言えばボケ」だなとか言い出したのはどう考えても「遺書」以降であるし、当時はみんな松本人志の真似をしていた。

遺書」の中にちりばめられたさまざまな言葉哲学思想テレビ会を良くも悪くも「汚染」したのも事実であろう。

遺書」以降日本テレビ番組がつまらなくなってしまったのは疑いの余地の無いところである

で、その理由として松本人志言葉観念化し、テレビ会を凝視する視点へと変質してしまったと考えることは出来ないだろうか。

このボケ突っ込みをしたら松本人志につまらないと思われるの恐ろしく、笑いの質を変えざるを得なくなってしまった可能性はないだろうか?

松本人志的なあるいはダウンタウン的な笑いが日本中を席巻し芸人一般人もパクってたし、はっきし言ってそれはつまらものしかなかった。

日本テレビ番組は「遺書」以降どんどんつまらなくなっていった。

たとえばビートたけしが昔に比べてつまらなくなったのも、素直に笑いたいけど笑えなくあの、ビートたけし特有の「ニヤリ」とした笑いかたも「遺書」以降によく見られる現象である

私はビートたけしバイク事故も「遺書」に敗北感を感じたビートたけし自殺だったという説を持っているがどうであろうか?

最近お笑い芸人は何でもかんでも突っ込み、しつこいし、これは浜田雅功のパクりとしか思えないし、ワイプに映るタレントの笑い顔も「笑わなきゃならず笑ってる」という感じで素直な笑いではない。

最近の笑いはボケから突っ込みまで全てが予定調和でつまらないし、そこにはやはり松本人志の「つまらない」という視点があり「つまらない」と思われるのが怖いからではなかろうか。

どう考えても松本人志の「遺書」以降日本テレビ番組は変質してしまった。(そんななかお笑いの質が遺書以降も全くぶれなかった島田紳助は流石と言わざるを得ず引退が非常に惜しまれる)

笑いコンビ別にどちらがボケでどちらが突っ込みという決まり事なんかないのはたとえば、とんねるずウッチャンナンチャンを見ればあきらかで、

その時々の状況に応じてどちらが突っ込んだりボケたりすれば言い訳別にお笑い形態としては、必ずしもどちらがボケでどちらが突っ込みといった役割分担が必須というわけではない。

ウッチャンナンチャン的、とんねるず的なお笑いコンビもっといてもいいわけである

ダウンタウン以降、ほとんど全ての笑いコンビボケ突っ込み役割分担がはっきりしており、今は昔ほど酷くないが少しでもダウンタウン的な要素があるとつまらなく感じるのであった。

兎に角松本人志視点テレビ会に内在化されてしまたことは疑いようのない事実である

明石家さんまですら、松本人志視点を感じながら番組に挑んでるのも全く事実であろう。

ボケ突っ込みがしつこく見てて楽しいとは思うが正直疲れる。

ダウンタウンも歳をとりもうすぐ還暦である。流石に昔程の輝きはないが、ダウンタウンがどんどんつまらなくなっていくのと日本テレビ番組がつまらなくなっていくのは軸を一にしており、繋がっているとは言えないか

番組制作スタッフ本音を言えば正直松本人志視点邪魔で重苦しく感じているのではなかろうか?

私に視点死刑の刑が執行されたのも、「遺書」の発売年とほぼ被るし、私を自分支配下に置こうとした彼は松本人志の芸風をよくパクっていた。

気味が悪く絶対に誰も同じ目にあいたくない視点死刑という刑罰も実は彼のオリジナルではなく社会性があったのであり、私を支配下に置こうとした彼も時代の手のひらの上で踊らされてたのである

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