論旨としては、例の宇崎ちゃんのイラストは苦手だが、それは個人の感想として留めておいて、公共の場から排斥するためにアクションを起こそうとは思わない、ということ。
https://note.mu/mogami74/n/n90784701a763
このnoteで、
"若者はこうしたアニメ漫画文化を日常として受け入れて育っている"から、"宇崎ちゃんだって、彼らは違和感を覚えないだろう"と書いてある。しかし、私は24歳の若者だが、この絵が苦手だ。違和感を覚える。
ちなみに、原作である「宇崎ちゃんは遊びたい!」は読んでいる。面白い。うざい後輩と振り回される先輩のやり取りが軽快で良い。「〜ッスよ」という口調で傍若無人に振る舞う宇崎ちゃんに、時折激しく、時折冷静にツッコミを入れる先輩。もし未読ならば読んでも損はない作品だ。
とはいえ、今回のポスターの絵は苦手だ。なぜか。宇崎ちゃんの胸が大きいからではない。身体のラインが出ているからでもない。私が苦手なのはその表情だ。
あれをアヘ顔だとは思わない。ただ、「顔を赤らめて目を細め、悦に入る表情」が苦手だ。ああいう表情を誇張的に描くのはアニメや漫画の文化特有のものだと思う。そして、読者に対するサービスショットだと思う。個人で楽しむのはナシではない。けれど、私は別にああいう表情のキャラを見たいわけではない。not for me。
しかし、あの表情が好きな人もいる。それを否定したくはない。取り立てて何かを例に出すのは良くないが、今回のイラストに限らず、みんな苦手なものがある。目にしたくないものがある。それを好きな人たちもいる。アウトかセーフかの線引きは難しいが、個人の意見だけで排斥すべきではないだろう。ともすれば私の好きなスポーツ選手が、お笑い芸人が、アーティストが、公共の場から抹殺されてしまうかもしれない。
(尚、あまりここであのイラストが性的か否かの話をしたくはないが、そもそも「何らかの対象を性的消費することを一切禁じる」なんて世の中に暮らしたいとは思わない。誰だって何かを性的に感じながら生きている。これも個人の感想だと思う。)
not for me。つまり、「私向けではない」。そのことは、not for socialだとか、not for publicとはイコールにならない。今回の施策で、ノベルティがもらえるなら、献血に行こうと思った人がいる。日本赤十字のサイト(https://www.bs.jrc.or.jp/tkhr/bbc/special/m6_03_05_20160202-5.html)を見れば分かるが、健康的な若い世代の献血が高齢者医療の多くを支えている現状、少子化が進むなどの要因で若い世代の献血が減れば血液不足が起こる。よって、若い世代に効果的な施策を行うことで献血をPRする。理にかなっている。増えた血液が誰かを救うかもしれない。
うまく伝わりそうにないくらい複雑だ。私は、宇崎ちゃんの今回のイラストは自分向けではないが、「宇崎ちゃんは遊びたい!」はおもしろいと思っている。若者だけれど、今回のイラストには違和感を覚える。しかし排斥したいとは思わない。でも正直、こういう絵を街でたくさん見たくはない。献血量を増やすためには何をやってもいいとも思わない。本当は、「〇〇が苦手です」と主張したいわけではない。個人の感想として留めておきたい。
今までキズナアイがどう、駅乃みちかがどう、アズールレーンがどう、とやってきたように、これからも度々このような話題は上るだろう。私はただ、見たくないものも社会にあって然るべきだと思う。私の見たいものが社会にあって欲しいから。では、何が社会にあるべきかの線引きはどうやって決めていけばよいか。その答えはわからない。わからないから毎回こうやって議論が紛糾するのだと思う。私は何が言いたいかわからなくなる。皆さんは正直どう思っているのだろう。
献血ポスターひっこめても宇崎の漫画はそのまま書店にあるだろうしフェミさんも絶版にしろまでいってないんやで