2019-07-22

ネタバレ】天気の子みてきた。須賀が昔の新海主人公で味わい深い

点数をつけると100点満点で50点ぐらいなんだけど、主人公兄貴分にあたる須賀はちょっとおもしろい。

須賀はいわゆる新海主人公の末路として措定されている。過去に起きた、いまさらどうしようもないことに拘泥し、時を止めてしまったキャラクターだ。

須賀は愛した女性過去に失っていて、そのことをずっと引きずっている。そしてその忘れ形見の娘がいるものの、義母にその父としては不十分と見られており一緒に暮らすことが出来ていない。大人になれない須賀の象徴として一緒に暮らせていない娘がいて、その原因は最愛女性過去に失って時を止めてしまたことにある。

須賀が帆高に言う「もう大人になれよ、少年」というセリフは、大人になりきれない須賀自身に向けられたものとも言える。

そしてそんな須賀と主人公類似性夏美によって指摘される。「昔の自分を見てるみたいでほっとけなかったんでしょ」。須賀もまたかつて地方から東京へやってきた人間だ。そして東京で愛し合う女性が出来、しかし失ってしまった。須賀は陽菜を助けることができなかった帆高でもある。

ボロビルで帆高を止めようとする須賀はそういうコンテクストの上に立っている。帆高と相対する須賀がやけに物分りのいいことを言うのは彼が大人になろうとしているからだ。警察という社会的ものに取り入ろうとしたり、1人が犠牲になって社会全体が良くなるならそれでいいと嘯いてみたりするのは、娘がいて尚、大人になれない彼が大人になろうともがいているからだ。

帆高はそんな須賀に向かって「俺はただもう一度あのひとに会いたいんだ!」というようなことを言う。それを聞いた須賀は帆高ではなく帆高を止めようとする警察に襲いかかる。

このシーンはけっこうぐっとくる。大人になるってのは社会論理に馴致されることじゃない、後悔や本当の願いに向き合うことだ、という作品なりのアンサーになってると思うから。だからいい。

明確な描写がないからただの想像になるけど須賀はかつて最愛女性を失った時、こうしたいと思うことがあったにも関わらず出来なかったのではないか。そのことをずっと悔いているのではないか。だから時をとめてその場に立ち尽くしたままなのではないか。もしそうであるなら、警察に襲いかかる須賀は、帆高のためではなく、かつての自分のためにそうしていると言える。

事件の数年後、須賀が小さいながらもちゃんとした編集プロダクションを構えているのは彼が心に抱えた傷を乗り越え、大人になることができた証だ。往年の新海ファンとしては、やっと踏切の向こうに明里を見送った貴樹のその先を見れたような気さえする。

惜しむらくは帆高がそれをまったく理解していないことだろう。

面白い物語論理的に分解したときちゃん構造化がなされているものだ。

ラストバトルはただの殴り合いじゃない。主役と敵役それぞれの正義がぶつかり合う、積み上げたコンテクストが激突するから映える。『天気の子』は、主人公主人公の影(須賀)が対決し、その結果、影の呪い浄化され、いっしょに真の敵(警察)と対決するという構図を描くところまでは良かったのだが、「影の呪い」を主人公理解していないため観客にもそれがちゃんと伝わらずシーンの強度がかなり減じてしまっている。それはどう考えてももったいない。

『天気の子』はそういった練り込み不足が目立つ。帆高が家出して東京へ来たのは「帰りたくない」ぐらいの何かがあるからなのか、「あの光の中に入りたい」からなのか。あるいは陽菜が「天気の子」をやるのは、弟を養うため早く大人になりたい気持ち象徴である理解しつつも、母への想いはそこに乗っていかないのか、そこに何かもうワンパンチないのか。そういうブレや要素が浅いのはやはり残念だった。

個人的に100点満点50点となってしまったのはその辺り。もうちょっと作品として練り上げ、そしてまとめ上げてほしかった。

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