性格が悪くなった。テレビを見れば文句しか出てこなくなった。流行りのものもくだらなく見えた。駅ですれ違う人の会話も、笑い声も、浅く馬鹿らしく耳障りで不愉快だと思った。
子供の頃は良かった。空の色とか道端の草花とか、そんなものしか見えていなかった。クラスのいざこざも、親の不仲も、60点のテストも気になんかならなかった。
前を見てきちんと席について、友達の話をよく聞いて、自分の意見を持って、隣の誰かと共感し合うことが、教室の窓の外で揺れる電線より、教科書の落書きより、遠くの星に住む宇宙人よりずっと大事なことだった。
休み時間は本を読む時間ではなくて、校庭でボールをぶつけ合う時間で、噂話をする時間で、友達でいるための時間だった。
同じ色の人同士がチームになって、狭い狭い教室での居場所を奪い合うのが、「クラス」というゲームのルールだった。同じチームでだって、水面下で奪い合いは続いていた。ずっと一緒にいなければ、いない間に標的になる事を知った。誰かの陰口を一緒になって言うことが友好条約だと知った。他のチームと対立すればするほど、自分が自分のチームの一員として大事にされる事を学んだ。
顔がでかい、毛深い、笑い方がキモい、柔軟剤臭い、ほうれい線やばい、サボってばっかり、てか走り方が変、そんな粗を探してはあげつらった。時々ヒソヒソと聞こえる自分の「粗」は聞こえないふりをした。
同じ人を悪く言えば仲間だと思った。
誰かを悪く言えば、自分は良くいられると思った。
陰口で繋がれば、みんなの言う普通からはみ出さないだろうと信じた。
大人になって、優しい人と仲良くなった。人の悪口を言わない、誰のことも褒める謙虚な人だった。そんな人だから、こんな自分の事も褒めてくれた。友好条約なんて無くとも、ずっと仲良くしてくれた。その人の周りの人も、やっぱり優しい人ばかりで、誰も戦争なんかしていなかった。余裕がある人はこうなのかと思った。
それでも卑屈な自分には、誰かの粗を探さなくては、一番下になってしまうように思えて怖い。
今日も馬鹿っぽいコメンテーターが誰でも言える事を保身に保身を重ねて喋るニュースを見た。似合わない金髪のタバコ臭いブスを見かけ、大声で武勇伝を語る酔っ払った学生とすれ違った。
弱い犬ほどよく吠えるのは、吠えていないと噛みつかれると信じているからだ。自分が弱くないと、噛みつかれないと信じ切れるようなカードが一つもない自分は、見えない敵と戦い続けるしかないのだろうか。
居場所なんか無くとも人に笑われようとも、空想の世界に居続けたかった。こんな愚劣な人間として、醜い争いに興じる人生なんか要らなかった。
性格悪いほうが面白いもの作れるらしいよ お前の文章は全然面白くないけど
鬱なので病院に行きましょう。
悪口は、音頭をとる人が休んだりするといきなりみんな穏やかになったりする。 よく人を見て、和して同せずの態度でのらりくらりとかわしてゆけたらいいね。 食べ物とか健康とか、...