もう30年くらい生きているが初めての体験をしたので記念に書き記しておく。
昼間からうっかりゲームに熱中してしまい、23時頃と遅めの外食。
倦怠感を感じつつも会社に出向き、昼食には刺身定食を平らげオフィスに帰還。
歴史的瞬間が訪れたのはその時だった。
便意を感じてトイレに向かい、いつものように洋式便座に腰掛けいつものように脱糞する。
そしてまた、普段と変わりのないルーチンにてウォシュレットのボタンを押し、3回程度手繰り寄せたトイレットペーパーを雑に畳んで菊紋を拭った。
最後に「大」の方向へレバーを捻り、ほぼ毎日行っている作業を完了した。
しかし立ち上がり、ふと振り返ったわたしの目にはいつもと異なる世界が存在していた。
まだ、そこに”いた”のだ。
なんと言えばいいのだろう。
便座の奥の部分にもたれかかっている感じ。
太くて長いそれは、まるで便座の局面に身体を預けるようにしながらそこに鎮座していた。
まるで水など流れていなかったかのように。
その瞬間、流し忘れていたのかもしれないと考えた。
しかし、確実に使用したはずのトイレットペーパーの姿はそこになく、水も黄色に染まることなく澄んでいた。
また、慌ててもう一度レバーを捻った際にその一物がびくともしなかったことから考えると、流したにも関わらずそれはまだそこに存在しているのだと考えるのが妥当だと結論付けた。
ここで簡単に弊社のトイレ事情を説明しておくと、いわゆる雑居ビルの中に居を構えている弊社トイレは、作業・休憩スペースから少し離れた場所にあるものの同じ空間に位置しており、しかも男女共用だ。
つまり、わたしがここでこの一物を放置してしまうと、他のスタッフによってそれは発見されてしまう。
また、わたしがトイレに入った際、トイレ入口を見ることができる休憩スペースに人がいたため、もしそれが発見された暁にはわたしが犯人であるということはすぐに露見してしまう。
そのため、残された選択肢はこの巨大な一物をどうにかして亡き者にするというものだけなのだ。
どうすれば良いのか。
しかし、先ほど2連続でレバーを捻ってしまったため、すぐに水を流したとしてもその一物はまだ自己主張を続けるだろう。
そのため、すぐに道具を置いてあるスペースにいき、トイレクイックルを手に取り、トイレ各所の掃除を始めた。
いつも以上に念入りに便座やその周辺を磨き上げた後、わたしは三度目の正直とばかりにレバーに手をかけようとした。
もし、ここで水を流してもこの巨大な一物になんの影響も及ぼせなかった場合、わたしはどうなってしまうのだろうか。
トイレ掃除という言い訳があったとしても、これ以上この場所に居続けることは不自然だ。
しかし、先に書いたようにこの一物を放置してその場を去るわけにはいかない。
そこでわたしが採った選択肢とは、一物を小さくして流れやすくするというものであった。
つまり、その手に握ったトイレクイックルを指先に被せ、そのままピンチインによって一物を分断したのである。
もしこれでも流れなければどうしようという不安を余所に、3回目のレバー捻りの後に便座には何も残らなかった。
しかし、わたしの胸には「水で流れない程の巨大なうんこを捻り出した」という達成感が去来していた。
この一抹の自信は、何があろうとも私の中に生き続けるのだ。