フェミニストと喪女は本来共通する筈なのに、実際には酷く隔絶されている印象。
「家事育児を押し付けられるから結婚したくない!」とは言っても「私がブスだから結婚できない」とは絶対に言わないのがネトフェミ。まあ実際皆さん美人さん揃いなんでしょうよ、私と違って。
喪女クラスタとフェミクラスタが隔絶されてるのってフェミニズムの趣旨からすると不思議に思えるのですが、むべなるかな。
本来主流となるべき喪女層にフェミニズムがいまいち浸透しないのは、日本の今のリベラルフェミニズムが「女子高生」や「ワーキングマザー」等と言った、「女性の中では比較的恵まれている層」ばかりに焦点を当てて、本来フェミニズムと最も親和性の高い筈の、「容姿に恵まれず差別される若くない独身女性」という層を無視しているからだと思います。
ルミネのCMは批判されたけれど一過性のもので、ルッキズムの害悪に切り込んだ分析は進まなかった。
「フェミニストがモテないブスばかりと思うなよ」という主張がバリバリに感じられるようになったのはいつからなのか…2006年に『バックラッシュ!』という本が出た頃にはまだ状況は違っていたように記憶している。やはりTwitterの普及後かな?
「痛いフェミニスト」になりたくないが為の良妻賢母思想が今の日本のフェミニズムの主流だと思っている。それは実質保守主義といっていいのではないかと。
実際に既婚や子持ちである層だけでなくそれとは掛け離れた立場にいる女性でさえ、負け組独身子無し女性より勝ち組子持ち女性の保護を率先して語るのは何故だろう。「あんな痛いブスと一緒にされたくない」現象?
「女は集団全体の利益の向上を図らず集団の中での上澄みに立ちたがる」…『女』を主語にするのはミソジニーめいているのであまり言いたくないのですが、でも今の日本のリベラルフェミニズムからは凄くそういう気配を感じる。
フェミニストの全てが喪女ではないが、喪女は全てがフェミニストであるのが自然な姿だと思う。なのにそうならなかったのは何故なのか。
女に「少女」と「母親」以外の価値を見出さないという点においては、日本のリベフェミの皆さんは宮崎駿よりもよっぽど徹底しているように見える。
もうどっかが一部のフェミにウィメンスプレマシストってレッテル貼りしちゃえば