イケハヤやらハセカラやらがネット流行っているらしい昨今、時代に先んじて
農業に憧れて、バブル期只中、脱サラし、地方に一家揃って在住させた男とその息子のその後の話。
確かうちの父が俺にとって一応の故郷、父にとって見知らぬ新天地へと旅立ったのは1988年だったとかいう。
おれはその頃4歳。詳細な記憶はないけれども、幼稚園児でなくなり、覚えた平仮名はマ行までにとどまった
ことははっきりと覚えている(ヤ行以下は小学校で習った)。そのせいか東京が知の先端であるという認識は消えない。
そんなわけで幼稚園のうさぎ組より全生徒の人数が少ない小学校にあがるまで俺は、
俺にとって単調な遊び場、父にとって夢が詰まった無限の大地で遊んでいた(ほっとかれていた)。
正直、少子化すぎて、田舎のガキ大将に目をつけられていじめられるとかもなく、
主にバッタ、セミ等、季節の虫が友達だった俺だったが、父は早速、村の連中にいじめられた。
果たして父に対するいじめが、村の人間の狭小さ故のものであったのかは判断に悩むところだ。
はっきりいって俺でもいきなり人口数百人もいない集落でいきなり東京の余所者がやってきたら
扱いに困る。しかも、父は時代を先取った痕跡を残すとかいって、変な雑誌の取材をよくいれて
いたので、余計に目立ったし、村の人は父が村に溶け込むつもりかもわからなかっただろう。
なんかだんだんめんどくさくなってきたので、結論からだけ書くと、俺が小学4年の時、
母が父の友達のライターが東京に帰るのについて行ってしまい、それっきりになった。
人というのは脆いもので、そうすると、父も実家の家業の手伝いとかいって、
村を出て、東京近郊に舞い戻ることになった。無論、家業は父の兄がしっかりと
継いでいたから、父にやることは特になく、俺が中学校に上がる頃には、
父は何をしているかわからない人になった。そして、それっきりで、
俺はというと、父の兄のおかげで、大学も出れて、今では父の兄の事業を任されている。
ま、本当に地方在住って父の人生に何も残さなかったのだなと、東京、地方、消耗
という言葉を聞くと思う。帰れる場所が東京近郊にある人にとって、地方は
本当にプライドをみたすだけの存在なんだろうとも思う。それが故に、それを満たせない
ものだと気づくとあっさりとそれを捨てられるのだろう。なんというのか、
おれんとこは父はアスベストの肺癌で死亡、 母は双極性障害が悪化して裸で徘徊、入院、死亡 これが田舎 田舎怖い
いじめられっ子が悪いという話にしかしてなくてゴミクズひどいな 死ねよw
親の頭が悪いと本当に辛いよなあ