“なぜモテないかというと、それは、あなたがキモチワルいからでしょう。 ”この言葉を人々に与えたのが色んな意味で危険だった感じはある。自省を促す意味でいい言葉だけど、罵り文句として使う人もいるとなぁ…
僕はスタートや闇堕ちしすぎてたから、救われたいってコンプレックスが強すぎて恋愛にこけるし、かと言ってヤリチン化するほど女の子を軽くも扱えない(つーか怖いから承認欲求を満たしてくれる少人数にチヤホヤされたらそれ以上の関わりは持ちたくない)人だったからなぁ…立ち位置がムズい
性的な快楽?引きずり込まれるような独特の感触に出会うまでは純粋に「モテたい」ではなく「誰かしらの異性に好かれるのが義務」みたいな感じで思ってた部分があって、義務を果たせない自分はだめなやつだ的な卑屈さがあったからなぁ…まぁ、「教育の成果」ですけどね
僕は母親嫌いでありながら、すり込みのごとく聞かされてきた「結婚しないと人は成長しない(成長してそんなこと言ってるのがうちの母だけど)」「人類の義務として子どもを二人は育てなさい」というのができないし、多分できそうもないことに病んでからずっと凹んでるからね…
つまるところ、セックスに体が引きずられたり、いちゃついただけで何十回とその人のことで抜いてしまう経験をするまでは僕にとってのモテも女性関係も必要悪でしかなかったし、母親からの束縛から逃れるための盾に女性をしようとしてたというのが、どうも真相なんだよね…
言い方を変えると、僕は母親の熱心な教育の結果として女性を神様にして邪神という扱いしかできない思考になってたわけだ。女性に承認されれば、うるさい人から距離が置けて社会的に認められる。と童貞で子どもの時には思い込まされ…(続く
今度はセックスを覚えてしまうと、体が女体に引きずられて求めてしまう結果として、モテに飢えるというか、モテてないことに社会や承認ではなく、体までもが束縛される。自分の男性的な部分はどうであれ女性を欲するように作りこまれてしまってたわけ
でもね、モテるのモテないのって言うのは台頭な関係にならないとモテようがないから、社会的な束縛とか身体的な束縛に女性を利用しちゃう人は結果的にモテないのよね…持てたとしてもそれがバレちゃったり、自分の無意識に相手の意識が気づいたら急に嫌になったりするから自覚と自重は必要だよね
何が言いたいかというと、モテに背負わされているものと、自分がモテたい理由とかモテたあとにしてることの中に「明らかにこっちだけ得しようとしてる」みたいな話に気づけるかどうかなのよね…。二村ヒトシさん風にで言えば、「インチキな自己肯定」とでも言えばいいかな?欺瞞とか正当化とも言うが
kanose マザコン由来のミソジニーを公の場で語ることに抵抗がない男って本気で気持ち悪い。これを堂々と語る男の人と付き合いたい女がいるか? いないだろ。