突っ込みどころの地雷原たる一連のツイートだが、いくつか言いたい。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1785362.html
所得の低「そうな」人ほど礼儀正しさを備えているように「思える」という雑なイメージを吐露している。
なぜ雑かというと、所得の低そうな人がどういう人か、礼儀正しい人がどういう人か、
読者に納得のいく意見が述べられていないからである。データや経験のない意見は
その雑なイメージを基に疑問を呈してみても共感など得られるはずもない。
まずは「牛丼 客 年収」などでググることが必要だ。別に論文レベルの
データや参考文献は必要ない。だがそれを補うためには圧倒的に魅力的な経歴が
2. 疑問は時に炎上する
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1499407139
皆さんは上の投書を覚えているだろうか。
新幹線の指定席を買い忘れた壮年男性が空席を求めて指定席ゾーンを彷徨い、
最後は自由席で子連れの母親から席を譲ってもらったという話である。
ペットや未就学児童が指定席に座っていることに疑問を呈する投書であるが、
「虚を突かれ」「座席で居心地の悪さを感じながら」など、
今回のツイートも「僕はこんな疑問を持ちました」という表明である。
が、共感を求めるポーズが滲み出ており、「分からない」という形式の疑問ではなく
「僕/私の言ってることは間違ってますか」という形式の疑問である。
このテの疑問は小町でよく見かける。そして漏れなく炎上している。
3. 不要論は禁止に似ている
たしかに「牛丼屋でごちそうさまなんて本来不必要」と「牛丼屋でごちそうさま言うな」は違う。
だが、世間では「○○なんて不要」という意見は強制の意味を多分に含む。
そんな考えを持った人間たちが街を練り歩く姿をよく見かける。
そもそも140文字という短いフォーマットでは1つのツイートでも
正しく理解してもらう文章力が求められる。殊に本を書いてもいるプロなら尚更だ。
「なぜ謝らなければならないのか分からない」を繰り返していた。
この局面になって炎上する理由が分からないのは他者意識が欠如していると
言わざるを得ない。ここで言う他者意識とは、「この文章を読んで読み手が
どう感じるか」ということだ。
考えてほしい。そのツイートがなぜ炎上したか。なぜ反対意見が多いのか。
かく言う私は反省も謝罪も求めてはいない。求めるのは学習である。
かく言う私は反省も謝罪も求めてはいない。求めるのは学習である。 なんでお前に謝らないといけないんだよ。
当事者でもないのに謝罪を要求する低能はネットに溢れてるでしょ