2012-04-02

先進国というコスト

  • 先進国工場置いて、末端まで先進国らしい給料を与えるには、たとえばテレビなら40型で30万は必要だろう。ところが今となっては40型は10万を割り込み、型落ち旧品は5万出してお釣りが来る価格。そしてそれを安い安いと手に取っていく。我慢したかいがあったと、喜ぶ。末端社員に金が回らなくなり、自殺者が増える。高価な値段は、私達先進国に住む人間の生活を支えるコストが上乗せされている。当然、いくらかを途上国に回せば、安くなるが、食えない人間が出てくる。
  • ところで、国家内部の社会保障もまた、維持に多大なコストを支払っているのは言うまでもない。その資産運用確率的な問題が絡んでるのもまた事実であり、避けられぬ問題だ。年金基金が著しく減少する可能性、コストに算定できていただろうか?少子化という参与者数の減少に向き合っているだろうか?少数精鋭などと綺麗事を主張できるのは余裕がある今のうちだ。
  • これら見えてきたコストに対して、それを新たに算定に加えることに抵抗を覚える人間が多いのはわかりきった話である。あらゆるものコストが上積みされたそれを支えられなくなったとき、私達ははじめて、本当の恐怖を覚えるのだ。

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