2011-05-05

から生きる意味を考えた

つい先月、父がガンで入院した

から親とはあまり意見が合わず、中学に入って以来、あまり話をしなかった。

実家大阪なんだけど、親元から離れたいこともあって茨城県大学に進学、一昨年に静岡就職。そして今年2月に結婚した

これから、親とはあまり関わらない、自分だけの人生が楽しめると思っていた。

僕にはやりたい事がたくさんあって、ただ食べるために働くのは嫌だった。何かを成し遂げたかった。

父は仕事後にビールを飲むのが生きがいで、たまパチンコに行くのが趣味。それ以外に何の楽しみもないようで、僕には何のために生きているのかさっぱり分からなかった。

僕は逆に多趣味で、毎日がとても忙しいけど、そんな趣味に生きるのが好きで、いつか趣味に関わることで何か成し遂げられたら良いな、と思っていた。

最近はずっと、成し遂げたい「何か」がなんなのか、を考えていて、何をするにしても、自分や周囲の幸福度を上げる事が一番だ、という考えを持った。

幸せとは何か?といえば、不満が無い状態かな、と思う。

しい物を手にいれれば幸せだし、何かに夢中になれれば目的目標に飢えることが無く、幸せだ。

から、適度に難しい課題自分で設定して、それをこなす事で、人に物を提供するのが良いかな、なんて考えていた。

そんな矢先、父がガンと言われて、生きる意味を改めて考えさせられた。

自分にとって親は、いつか死ぬもので、死んだら悲しいけど、いつ死ぬか分からないし、「とりあえず今は何も考えなくて良い存在」。

たま実家に帰った時にちょっと話をして、話が長くなると意見が合わなくて嫌になる、そんな存在だった。

から実家に帰るのは一年に一回か二回、結婚したので今後は一年中帰らないこともあり得ると思っていた。

だけど、ガンって言われてようやく気づいた。

一年に2日会うとしたら、20年後に死ぬなら40日しか会えない。

しかも、よく考えたら親は近い日に簡単に死ぬかもしれない。病気でなくても、事故って死ぬかもしれない。

いつ死ぬかわからいからこそ、死ぬ前にできることは何よりも優先してやらないといけない。「とにかく今何かを考えなくてはいけない存在」だ。

ガンって言われると、急に親の死をリアル想像できて、想像するたびに涙が出た。

で、泣いているときに、今の自分は何故悲しいのか?と考えた。

親が死ぬからしい

いつかは絶対死ぬ、そんな分かりきったことが悲しいのか?

やっぱり悲しい。死ぬことが、ただ悲しい

つまり、人が死ねば、どう頑張っても、周囲の人を不幸にするんだと思った。(残念ながら、人が死んで幸せな人もいるかもしれないが)

人は生まれた時点で死ぬ運命にあるので、死ぬときに必ず不幸を撒き散らす。

じゃあ人は、その不幸を上回るような幸福を生み出さなければいけない。それが人の生きる意味なんじゃないかと思った。

僕にとって生きる意味って、なんだろう。

それは、親や嫁、そのほか多くの人を幸せにすることだ。

いつか死ぬ彼らに、いつか死ぬ自分が撒き散らす不幸よりも多い幸せを与えることだ。

まずは、ガンになった父に今まで世話になった御礼をちゃんと伝えて、

僕は育ててくれたことを大変感謝している、父は自分を誇りに思っていい、父のおかげで今の自分がいる、

父を失うのは本当に悲しい、僕は父が大好きだ。というところまで、ちゃんと伝えなければいけない。

今まで親と会話をしなかった分、きっちり自分の考えを伝えて、そこに安心してもらいたい。両親とも、不安に思っていると思うから

その上で、ガンが治るなら治って、その後も、いつか死ぬその日まで、なるべく多くの楽しい時間を共有して、笑い合って過ごせたら、それはきっと幸せだ。

本当は死ぬ事なんか意識しないで、大笑いして過ごして、気づいたら死んでいた、というのが一番なんだと思う。

そうなれるように、僕は変な反抗期なんか克服して、素直になるべきだ。

以上、チラシの裏した

GWを利用して昨日今日と父の見舞いに行ってきたら、どうしても書きたくて書きました

まさかこんなシリアスな話を自分Blogに書けないし、というのがひとつと、

あとは似た境遇の(親と距離があるような)人が居たら是非親孝行をしてほしいな、というのがもうひとつ

そんな理由で書きました

そんじゃ、読んでくれてありがとう

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