昔から親とはあまり意見が合わず、中学に入って以来、あまり話をしなかった。
実家は大阪なんだけど、親元から離れたいこともあって茨城県の大学に進学、一昨年に静岡で就職。そして今年2月に結婚もした。
これから、親とはあまり関わらない、自分だけの人生が楽しめると思っていた。
僕にはやりたい事がたくさんあって、ただ食べるために働くのは嫌だった。何かを成し遂げたかった。
父は仕事後にビールを飲むのが生きがいで、たまにパチンコに行くのが趣味。それ以外に何の楽しみもないようで、僕には何のために生きているのかさっぱり分からなかった。
僕は逆に多趣味で、毎日がとても忙しいけど、そんな趣味に生きるのが好きで、いつか趣味に関わることで何か成し遂げられたら良いな、と思っていた。
最近はずっと、成し遂げたい「何か」がなんなのか、を考えていて、何をするにしても、自分や周囲の幸福度を上げる事が一番だ、という考えを持った。
幸せとは何か?といえば、不満が無い状態かな、と思う。
欲しい物を手にいれれば幸せだし、何かに夢中になれれば目的・目標に飢えることが無く、幸せだ。
だから、適度に難しい課題を自分で設定して、それをこなす事で、人に物を提供するのが良いかな、なんて考えていた。
そんな矢先、父がガンと言われて、生きる意味を改めて考えさせられた。
自分にとって親は、いつか死ぬもので、死んだら悲しいけど、いつ死ぬか分からないし、「とりあえず今は何も考えなくて良い存在」。
たまに実家に帰った時にちょっと話をして、話が長くなると意見が合わなくて嫌になる、そんな存在だった。
だから、実家に帰るのは一年に一回か二回、結婚したので今後は一年中帰らないこともあり得ると思っていた。
だけど、ガンって言われてようやく気づいた。
一年に2日会うとしたら、20年後に死ぬなら40日しか会えない。
しかも、よく考えたら親は近い日に簡単に死ぬかもしれない。病気でなくても、事故って死ぬかもしれない。
いつ死ぬかわからないからこそ、死ぬ前にできることは何よりも優先してやらないといけない。「とにかく今何かを考えなくてはいけない存在」だ。
ガンって言われると、急に親の死をリアルに想像できて、想像するたびに涙が出た。
いつかは絶対死ぬ、そんな分かりきったことが悲しいのか?
つまり、人が死ねば、どう頑張っても、周囲の人を不幸にするんだと思った。(残念ながら、人が死んで幸せな人もいるかもしれないが)
人は生まれた時点で死ぬ運命にあるので、死ぬときに必ず不幸を撒き散らす。
じゃあ人は、その不幸を上回るような幸福を生み出さなければいけない。それが人の生きる意味なんじゃないかと思った。
僕にとって生きる意味って、なんだろう。
それは、親や嫁、そのほか多くの人を幸せにすることだ。
いつか死ぬ彼らに、いつか死ぬ自分が撒き散らす不幸よりも多い幸せを与えることだ。
まずは、ガンになった父に今まで世話になった御礼をちゃんと伝えて、
僕は育ててくれたことを大変感謝している、父は自分を誇りに思っていい、父のおかげで今の自分がいる、
父を失うのは本当に悲しい、僕は父が大好きだ。というところまで、ちゃんと伝えなければいけない。
今まで親と会話をしなかった分、きっちり自分の考えを伝えて、そこに安心してもらいたい。両親とも、不安に思っていると思うから。
その上で、ガンが治るなら治って、その後も、いつか死ぬその日まで、なるべく多くの楽しい時間を共有して、笑い合って過ごせたら、それはきっと幸せだ。
本当は死ぬ事なんか意識しないで、大笑いして過ごして、気づいたら死んでいた、というのが一番なんだと思う。
そうなれるように、僕は変な反抗期なんか克服して、素直になるべきだ。
GWを利用して昨日今日と父の見舞いに行ってきたら、どうしても書きたくて書きました。
まさかこんなシリアスな話を自分のBlogに書けないし、というのがひとつと、
あとは似た境遇の(親と距離があるような)人が居たら是非親孝行をしてほしいな、というのがもうひとつ。
そんな理由で書きました。
そんじゃ、読んでくれてありがとう。