すぐ「~なの?」って言うの流行ってる。
ITに未来が無いか?と言えばそうとも言えない。
「ユニバーサルデザイン」とよく聞くけども、左手で使えるデジカメが売ってない。
右半身が麻痺すれば、既存のツールは役立たずになってしまう。
電車内で学生が数人が少し大きめの話してた話が耳に入ってきたんだけど
「○○って最近アニメになったマンガって1巻から読んだ方がいいの?」とか
「絶望先生のアニメで、一瞬だけ映る文字とかって一時停止してみたほういいの?」とか
そんな感じの少し考えれば分かることまで他人に聞く事を延々してたんだが
そういうのを規制すると、万単位のDLという需要はきれいさっぱり消滅するだけで
実際の購入に結びつくのは1万件当たり1件くらいな気がするんだけどどうか。
(そして1万件DLの結果「買ってみてもいいか」と実際に購入するケースも1件くらいかと)
まぁ単に「ココロが痛む」のを止めたい、というだけのモチベーションだってなら理解できるけど。
ちょっと冷静になってきた。
なんかSMのプレイ的に興味があるみたいだ。彼はバツイチなのだけど、離婚の原因もその性癖が関わってるらしく、なんというか…ある意味かわいそうな気がしてきた。まあでも、いろいろ考えても、やっぱり無理そうなので諦めることにする。ありがと。
そろそろ「萌え萌えアニメログ」とか「萌ZOOM」とか「エロアニメブログ」とか
それ以外にも無数にあるだろうけど、一連の他人コンテンツをアプロダにて配布しているサイトの類をなんとかしようよ。
漫画家さん、出版社さん、同人作家さん、連名で訴えること考えようよ。
いやマジメに。
ならここに書くなって話だが、表でやり過ぎてる人たちは看過できないよね。
後学のために高度な分析を聞かせて下さい。お願いします。
別に泣いたっていいじゃない!という記事。↓
http://d.hatena.ne.jp/kobeni_08/20090705/1246760664
うちの息子は0歳だけど、泣いてばかりいる。彼はまだ言葉を持っていないから、「快」以外の感情はすべて「泣く」ことで表現される。しかも本人は、沸き上がる感情に対しほぼ条件反射的に泣いている。なぜ泣いているのか、本人さえあまり分かっていないように見える。……だから、そこに言葉をつけて、悲しみの理由を述べたり、なぜ涙が出てきてしまうのか、自分で理解したりするには、けっこう時間がかかりそうだ。……そこを「説明できないのか。なら泣くな」といったようにスキップするとどうなるかというと、
「泣くのは恥=悲しみを感じるのも恥」
子供の頭の中で、こんな風に短縮されてしまわないのか。
「人は悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」的な話を思い出した。たしか昔の心理学者の説だったような…。
詳しい話は知らないが、簡単に考えても、「悲しい」ことと「泣く」ことの関係は、そう単純なものではないっぽい。
「泣く」ことは客観的な観察の対象になるけれど、「悲しい」ことはどう考えても主観的なものからだ。
「悲しいから泣く」、「寂しいから泣く」、「情けないから泣く」、「悔しいから泣く」
これらの表現は、実際の因果関係を表しているというより、一つの物語を示していると言った方が正しい。
言葉を持たない乳児からすれば、「泣く」というのはいつも突如として現れる「不快」に対する反応であって、そうした理由=物語なんかないのだろう。
少なくとも外から見てる分には、彼らはただ周囲の大人に不快を取り除いてもらうために、泣いているように見える。
そして周囲の大人が「不快を取り除く」のと同時にするのが、「彼が泣いた具体的な理由=物語を与える」ということである。
「おなか空いちゃったね~(痛かったね~)」
「○○ちゃん、寂しかったね~(悔しかったね~)」etc.
そう考えると、「理由を説明できないなら泣くな」という父の言葉は、あんがい教育的なものだったんじゃないかなぁと思う。
「ただ単に泣く」ということは、「不快を取り除いてもらう」だけでなく、「周囲が理由を与えてくれるのを待つ」ということでもあるからだ。
もちろん「泣くな!」とは言わないで、「待ってるだけじゃなくて、自分から理由を物語りなさい」という方に重点があったなら、より教育的だったのかもしれない。
でも、「泣く」ことを「説明する」ことで許すという方針自体は、わりと理に適っている。
まぁ、もともと上の記事の問題意識は泣くことの禁止に向けられているわけだけど。
無理矢理まとめると、泣くという反応の戦略性をどれだけ物語に昇華できるかということが人間的な魅力にも繋がる、ということだと思う。
目的を達成するための適切な手段を選べない輩だな。
付き合って半年なら、好きで好きでしょうがない時期だね。
楽しいし、とくかく彼女のやることなすこといいように解釈するだろうね。
でも、趣味趣向一緒で、話題が尽きないってのは大きいよ。
そんな人となら一生愛することも可能なんじゃね?
1年後同じこと言える状況にあったとき結婚すればいいよ。
付き合って半年の彼女がいる。
ケンカもしない。
笑いのツボも、趣味趣向も同じ。
話していて、話題が尽きない。何時間でも話していられる。
セックスの相性もピッタリ。
お互いがお互いを尊重して、認めあっている。
そういったこと知人友人にいうと、
そういっていられるのも今だけだよー的なことを言われる。
一生愛する自信があるんですが、これは錯覚でしょうか?
んじゃ
http://daidainoshiro.at.webry.info/200702/article_6.html
あたりをどう踏み込むか、が問題だね。
リメイクとかパラレルワールドとかいろいろ言ってるけど、要するに新劇場版のエヴァって、「2巡目」の世界なんでしょ。
アニメ版と旧劇場版が「ひぐらしのなく頃に」だとしたら、新劇場版は「ひぐらしのなく頃に解」なんだと思う。
1巡目を踏まえた2巡目だから、レナや圭一は発狂せず、沙都子は虐待から救われ、羽入は実体化したわけだ。もちろん実体化したのはマリ。
メンバー唯一以前のループの記憶を保っている梨花ことカヲルが、Qでどれだけ主体的に動いてくれるかが、ループを抜け出すためのネブカドネザルの鍵だと思う。
昔誘ってテンパった俺を思いだした
何見たんだっけか?あんまり覚えてない
その日は雨降ってたんだよな
あ、なんか書いてて切なくなってきた
僕は、
"自らが他者の幸福に対して貢献を為しているという主観的観測を以て
自己の存在意義に対する根源的な問いへの一時的な回答に代えて充足を得んとする情動"
と愛を定義している。
このクソッタレな世界の中で歯を食いしばって生に執着する理由を必要とした時に、
一方、恋は所有欲や性欲の延長にあり、自らの在り様を問うものではないのだと思う。
今のところ、この定義で不足や問題は感じていない。
http://anond.hatelabo.jp/20090706041056
これじゃあ、このままコピペしても動かなさそうだ。
実態参照に変換して貼り付けるのもめんどくさいので、いい方法があったら教えてほしい。
10年ぶりくらいに、自分から人を好きになった。
その人とは普段から友人として凄く仲良くしてて、
共通の趣味もあるし、一緒に居て楽しいし、お互い本音で話せる(と、少なくとも僕は思っている)し、
同じくらいの時期に同じような職に就いたこともあって、良きライバル的存在でもある。
仲間としても大好きだし、いつもいつも一緒に居過ぎて、むしろ家族愛的な気持ちもある。
でも多分、僕は彼女に恋をしている(正直、いい年して気持ち悪いと自分でも思う)。
でも"恋人になりたいか"って言われると、なんとなく違う気もする。
もし僕が告白してうまくいってもいかなくても、
僕と彼女の両方の性格から考えて"気まずくなって話せなくなる"なんて事も無いと思うけれど、
うまくいった時の事を考えても、なんとなく告白する気になれないでいる。
もしも彼女に他に好きな人が出来たら、心から応援出来ると思う。
でも、一緒に遊べなくなるのは寂しいかな。
恋人になりたいというより、家族になりたいの方が近い感じがする。
奥さんになって欲しいというよりも、むしろ兄弟になりたい。
でもキスしたり、抱きしめたりしたい気もする。
なんだか自分の気持ちがよく解らないな。
とにかく大好きなことだけは確かなんだけど。